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1070.02.17 延久二年二月十七日立之
福岡県直方市植木横町 観音堂
玄武岩製
塔高;83.5センチ
基部幅30.0 正面基部幅;23.5 基部厚;21.5
上部幅;31.0 正面上部幅;23.5
不整六角形柱状自然石の表裏を磨いて、梵字と紀年銘を刻む。
正面は、阿弥陀三尊種子。
(正面)
「サ」
「キリーク」
「サク」
(背面上部)
「胎蔵界中台八葉院」の9種子
(背面中部)
「金剛界五仏」の5種子
を配して両界曼荼羅を構成し、さらにその下に2行で
「随求小呪(一切如来隋心真言)」26字
を彫る。
真言中、2、4、7、10字目は通常「bha」の所を、全て「pa」にしている。
調査時、15字目「ビ(vi)」は、明確にではないが、以前は何とか見えていた。
16字目は通常「シュ」だが「u」に点が付いているようにも見える。傷の可能性も考えられるので、通常の「シュ」と読んだ。
23字目は通常「シャ(チャ)」だが、字画は似た字の「va」の形になっている。
また、27字目の「ダ(da)」は、刻字の有無を確認できなかったので図には記入していない。現在、塔下部が、後補の基礎にセメント接着されているため、下部の刻字は確認できなくなっている。
右端に紀年銘が一行
「延久二年二月十七日立之」
と彫られている。
梵字は全て筆書き、同じ字は、書体を変えて書かれているものが多い。特に金剛界五仏と胎蔵界中台八葉院に用いられている種子「ア」は、様々な書体を駆使して描かれている。
背面は小さな文字だが、固い石のためか、刻字の字画がよく残っている。それに比べると、中台八葉院の月輪、蓮葉、金剛界五仏の月輪の各線刻は、細い線も少し太めの線も途切れがちになっている。これは、梵字の刻字の残り具合から見ると、後世の摩耗のためばかりではなく、あるいは、当初から明瞭には彫り込まれていなかった可能性を示しているのではないかとも考えられる。
梵字の書体は後世に見られるものと違って個性的で、古様を示す。
正面の拓本を精査すると、キリーク字の上部に大きな「南」字を確認できる。これは、仏塔の製作を始める際に、仏尊等を彫る面に「南無妙法」或いは「南無阿弥陀」の文字を薄く彫った「先行字彫り」とされる中の1字が読める程度に残ったものである。通常は、肉眼で見分けられるものを見ない。私の拓本は、薄めの仕上がりのためもあってか、殆どこの文字が浮き出て判読できるようになったものは無いが、この拓本だけが唯一判読可能になった例である。肥留間博氏の教示によるとこの面には「南無妙法蓮華」6文字があるということだが、それらの文字の断片らしきものは有るが、文字を読み取るまでには確認できなかった。
1971.04.03.
1990.04.29調査
参考文献;『九州の石塔上巻』(多田隈豊秋著 西日本文化協会 S.50.08.01.)
『昭和56年第三回梵字教室テキスト』(梵字資料研究所、S.56.07.04-5.)
『梵字講話』(川勝政太郎著 川原書店 s.55.10.15.)
『縣敏夫板碑拓本集成図録 PDF版』(著者縣敏夫
、肥留間博
編)








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