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南北朝時代末期~室町時代前期
佐賀県嬉野市塩田町大字五町田千堂
安山岩製
塔高;171.0センチ
基礎側面幅;48.5 基礎側面高;29.0 基礎上面幅;30.0 基礎高;38.0
塔身幅;27.5 塔身高;25.0
笠軒幅;48.0 笠軒厚;9.5 笠下部幅;30.0 笠上部幅;18.5 笠高;36.5
相輪高;71.5
基壇は後補。
基礎は上2段造り出し。
塔身は、幅を少し大きく取って、側面無地。
笠は下2段、上3段。上1段は、隅飾の茨の位置に合わせたためか、軒厚と同じ高さに厚く造る。3段目は薄く、露盤を意識した様な造りになっている。
軒は厚い。
隅飾は2弧で大きめに造る。軒端から3㌢ほど内側に入れ、上を外に開いて、角を少し起り気味の曲線で繋ぐ。高さは笠上部に合わせている。
相輪は、露盤を低く造る。露盤幅は、笠上部幅とほぼ同じにする。
請花部は断面四角、隅飾1弧を2重に重ね、中央部を少し開けて、単弁の間弁1葉を入れる。
刹は断面丸、9輪を明瞭に彫りだす。宝蓋盤は露盤より薄くし、下部請花部と同じ意匠の請花部を作る。
宝珠は断面丸、径を全体のバランスを崩すほど大きくする。重心は少し上部あり、左右の曲線は不対称で張りが弱くつぶれ気味で、頂部に低い丸い突起を付ける。
相輪は、九州様式の例にもれず、塔全体からみて、太く、長大で、しかも宝珠がバランスを崩すほど大きく造られているので、上部が随分重く感じる。
各部とも造立当初からの一具のものと思われる。隅飾や塔身に少し傷んでいる所はあるが、その他は保存の状態は良い。相輪上部の宝珠は、折れたのをセメントで接着してある。宝珠が相輪には不釣り合いな程大きいが、石材や、接着部分の径などは合っており、当初から一具のものとして良いようである。
室町時代中期に始まり室町時代後期から流行する、肥前型宝篋印塔よりも前代の塔形を示し、南北朝末から室町時代前期ころの製作ではないかと思われる。
もと、近くの大黒丸屋敷跡伝承地から昭和初期ころに移設したと伝えられる。大黒丸屋敷は、和泉式部の生育の伝承地とされている。
堂内の宝篋印塔の背後には、石塔残欠が集められている。南北朝時代末頃のものと思われる宝塔塔身や室町時代以降の五輪塔水輪、笠、宝篋印塔笠等が見られる。
2010.04.16調査
参考文献;『九州の石塔上巻』(多田隈豊秋 西日本文化協会 s.50,8.1)













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