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1386.08.29. 至徳三年八月廿九
1393.05.10. 明徳二二年五十
福岡県大牟田市大字今山2538 普光寺石塔群
凝灰岩製
普光寺石塔群は、三池山頂上の三池宮への登山道付近の斜面に分布していたものを、昭和36年4月に集めて、薬師堂脇に1区画を拓き、復元配列された。総数90数基で、そのうち在銘のもの69基が確認されている。現在は、見学道が設けられ、それぞれがもとの位置から大分動かされているようである。
各塔は、概ね、同一個所に所在した部材を組み合わせて復元された。ただ、部材が不足するものは、他所の似た大きさのもの同士を組み合わされたものも有ったようである。
この宝篋印塔は、異なった紀年銘が基礎と塔身にあり、復元時は、別々に組み立てられて並べられていたものが、整備時に合わせられたものと思われる。
塔高;76.5センチ
基礎幅;34.0 基礎側面高;16.0 基礎上部幅;21.0
基礎高;25.5
塔身幅;18.0 塔身高;18.5
枘径; 12.0 枘高;1.0
笠下部幅;19.0 笠軒幅;32.0 笠上部幅;13.5
笠高;19.0
相輪露盤幅;10.0
相輪高;11.5
基礎は、上3段作り出し、正面に2行の刻字がある。
(基礎正面)
「俊 慶 禪 尼」
「明徳二二年癸酉五十日」 *「癸」は略字を使用。「日」字は欠けている。
塔身は、上に丸枘を作り出す。側面4面には、「バン」の四転種子を小さく筆書き薬研彫し、四仏配置で西面に当たる種子「バン」を挟んで、各1行の刻字がある。
(塔 身)
「□ 心 尼」
「バン」
「至徳三丙寅八月廿九□」 *「廿」は下部を欠いている。「九」は推読。
『有明地方石文集』には、「廿日」とある。
紀年銘の月日と普光寺石塔群の性格上、2基ともに、墓塔と考えられ、従って紀年銘は、造立年次では無く、入滅年次と考えられる。
異なった紀年銘から、基礎と塔身は、別塔の組み合わせとわかる。また、笠裏には枘穴が無く、笠と塔身は別塔の組み合わせとわかる。基礎と笠は、基礎幅が笠幅より2センチ大きく、これも別塔の組み合わせと思われる。相輪の枘と笠上面の枘穴の大きさは合っているが、元からの組み合わせかは不明。
笠は、下3段、上4段作り出す。軒は非常に薄い作りで、下3段とほぼ同じ厚みにし、上4段は、軒より厚めに造る。隅飾は、4隅とも破損しているが、残りのいい1個から大体の形が推測でき、隅は外に開き、2弧で線刻の輪郭を着けているのが確認できる。上面には、相輪の枘を入れる断面丸の枘穴が深めに彫り込まれている。
相輪は、露盤と請花部が残り、上部を欠失している。露盤側面には、4面とも同じく線刻で輪郭をまき、中に連子文を線刻する。
各部材とも造立の時代は似通っていると考えられ、笠と相輪も南北朝末期から室町時代初期頃までのものと思われる。
2010.05.07.調査
参考文献;『有明地方石文集』(多田隈豊秋編著、有明地歴研究会、1968.08.15.発行)











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