1281.04.29 弘安四年四月廿九日
熊本県球磨郡あさぎり町深田東 荒茂 勝福寺
凝灰岩製
石塔群の中心部から北側に離れた場所に建っている。
勝福寺墓地石塔群は、鎌倉時代中期の層塔や、鎌倉時代後期以降の五輪塔まで、非常に個性の強い球磨地方の地方色豊かな塔形をしているが、この塔だけは、それらとは異なっている。また、一般的な五輪石塔として見ても、かなり特異な塔形をしている。
塔高;152.0センチ
地輪幅;56.0 地輪高;42.5
水輪径;50.0 水輪下部径;32.0 水輪上部径;32.0 水輪高;35.5
火輪幅;61.0 火輪上部幅;20.5 火輪高;43.0
風輪径;32.0 風輪下部径;20.0 風輪高;11.5
空輪径;24.0 空輪下部径;10.5 空輪高;19.5
地輪は、比高をずい分高く造り、上面を僅かに起らせる。
水輪は、径を地輪より小さくして、球形の上下を切ったように丸く造る。曲線は美しく力強い。
火輪は、軒幅を地輪よりかなり大きく取り、比高をこの地方としては随分高くしている。軒は薄くして、水平部を作らず、真反りに近い強い曲線で、のびやかな反りをしめす。軒裏には地方色ともいえる膨らみを作るが、軒から水輪との接合部まで自然な曲線でつないで、違和感はない。上辺の棟幅を小さく絞り、隅棟や屋根の傾斜は直線的で、僅かな曲線なので、実際の火輪の容量は大きいが、左右によく伸びた薄い軒がそのことを殆ど感じさせない。
風輪は、径が大きく背を低くした浅鉢形で、上に、風輪より径を大分小さくしてやや押しつぶしたような球形の空輪を載せる。
全体の塔形は、常楽寺陶製五輪塔(兵庫県神崎郡香寺町常楽寺経塚出土)(註1)に良く似ている。特に、空輪の団形は、通常の五輪塔の頂部が尖った空輪ではなく、常楽寺のそれのように土を手でこねて造られたものに似ている。
球磨郡では、現在のところ、この塔より古い五輪塔は確認されていない。弘安四年、この塔が造立されるころにはまだ手本になる五輪石塔が無かったのではないかと思われる。恐らく、地元の凝灰岩を使用している以外、地方作の雰囲気が感じられないこの五輪塔は、陶製、あるいはそれをもとにした金属製五輪塔の雛型をかなり忠実に再現したものではなかったかと思う。
各輪四方に梵字がある。各面積に対して小さめで刷毛幅も狭いが、強い曲線の個性的な文字になっている。通常の五輪塔五大の四転種字とは少し異なり、摩多の切り継ぎ点が加えられているものを含んでいる。
(東)「アン・バン・ラン・カン・キャ」
(南)「アーン・バーン・ラーン・カーン・キャーン」
(西)「アン・バン・ラン・カン・キャン」
(北)「アーク・バーク・ラーク・カーク・キャーク」
*北面の風、空輪の種子を「カーク・キャーク」としたが、「アク」点2点のうち1点がないが、地・水・火輪との流れで、一応このように読んでおく。
銘が地輪の隅に2行彫られているが、1行目の下部は摩耗して読み取れない。
梵字「アーン」
「右志者僧□□ 」
「弘安四年四月廿九日」
梵字を含め、各部の造形は、弘安四年という年号に良く合っていると思われる。
水輪が縦に大きく割れ、火輪の屋根や地輪下部が腐食していて傷みが激しいのが惜しまれる。






1984.10.08.調査
1973.03.13.調査、撮影
(註1)常楽寺陶製五輪塔(兵庫県神崎郡香寺町常楽寺経塚出土)の写真及び実測図は
「宝篋印塔の起源 続五輪塔の起源 薮田嘉一郎著 綜芸舎 S.44.09.30」より転写、引用
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