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室町時代末期
熊本県玉名郡南関町大字細永 山添岩薬師
凝灰岩製
道路脇に石垣を積んだ1画があり、石段を登ると、凝灰岩の岩壁にお堂が造りつけられ、その中に磨崖仏と石仏が祀られている。
本尊の薬師如来坐像の両側に、少し小さくした舟形光背型龕の上部が残されており、もとは三尊形式の配置であった事が解る。また、本尊と右脇侍との龕と龕の間には天部か菩薩立像と思われる墨書の腕部分が残っていて、肉眼でも確認出来る。現在は、その両脇侍の舟形光背型龕の下部を切って堂の壁まで横長の龕が深く彫り込まれ、室町時代後期になって造られた半肉彫の石仏が並べられている。石仏は、薬師如来の脇侍の日光菩薩立像、月光菩薩立像の2組の4体4石と1石に3体ずつで4石に彫られた十二神将立像である。
2組の日光菩薩立像石仏、月光菩薩立像石仏のうち、本尊の左右の2個目の石仏。
右脇侍が
石材下部幅;26.0 石材高;56.0
像高;31.0
左脇侍が
石材下部幅;24.0 石材高;54.0
像高;32.0
享禄四天銘石仏と比較すると小さめで、彫り込まれた石仏の像高も小さく造られている。右脇侍は、完形で残るが、左脇侍は頭部を含んで、石材の左上部を大きく欠いている。
両像は、左右対称の作りになっており、岩座の蓮台上に直立に近い姿で表わされている。蓮弁は、享禄四天銘のものと異なり、蓮弁が細長で弁の数を多くして、中央部を高く、両側が低くなっている。像は、宝冠を付け、天衣を左右に翻している。髻は低く作る。左脇侍の頭部は失われているが同様の造りをしていたと思われる。両尊とも両手で蓮葉を一つ付けた蓮華の長い茎を持つ。蓮華の上に、右脇侍が日輪、左脇侍が月輪を乗せているので、右が日光菩薩、左が月光菩薩だと解る。像の配置は、享禄四天銘像と同じく、正面から外向きになっているが、これは享禄四天銘像に合わせたもので、元は、正面に向かって内側向きになるように配置されていたものではないかと思われる。
右脇侍の左脇に1行
「福山□□□尉尚勝」
の俗名が彫られている。他に刻字は見られない。
造立の時代は、享禄四天銘像と比べると、蓮弁の形や、像容、彫刻等がやや退行しているように思われるので、享禄四天銘像より遅れて、それでもなお室町時代後期に属する頃に造られたものと考えられる。















2020.01.02.撮影
1970頃 モノクロ
1973頃 モノクロ
参考文献;『有明地方石文集』(多田隈豊秋編著 有明地歴研究会刊 昭和43年)
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