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南北朝時代
熊本県玉名郡南関町大字細永 山添岩薬師
凝灰岩製
道路脇に石垣を積んだ1画があり、石段を登ると、凝灰岩の岩壁にお堂が造りつけられ、その中に磨崖仏と石仏が祀られている。
堂内に区切られた凝灰岩壁面中央に舟形光背型龕中、蓮台上に薬師如来坐像を浮き彫りしている。
舟形光背型龕幅;96.0 舟形光背型龕高;165.0
蓮台高;15.5 膝高;7.0
蓮台は、大きな円台の前面の1部だけを出した形で、1段にして、側面に間弁を付けた船型の単弁を並べた簡単な表現にする。蓮台上には、衣文の裾先を薄く彫り出す。その上に、膝部を低く1段切取って、側面に衣紋線を彫り、上面に足先を薄く彫り出す。膝から上の体部は全体を平たく浮き出させて衣紋や右手は線刻で表現し、薬壺を持つ左手は膝上面に乗せている。頭部だけは、立体的な浮き彫りにして丁寧な仕上げになっている。体形は、なで肩で、膝は薄いが幅は充分に取っている。
薄く突き出した平板な膝部の造りや、体部を平面にして線刻にする等の表現には時代の降下を思わせる所も見られるが、丁寧に彫られた頭部の表現は時代の古さを感じさせる。南北朝時代まで遡ると思われる。
薬師如来坐像の両側には、少し小さくした舟形光背型龕の上部が残されており、もとは三尊形式の配置であった事が解る。また、本尊と右脇侍との龕と龕の間には天部か菩薩立像と思われる墨書の腕部分が残っていて、肉眼でも確認出来る。現在は、その両脇侍の舟形光背型龕の下部を切って堂の壁まで横長の龕が深く彫り込まれ、室町時代後期になって造られた半肉彫の石仏が並べられている。石仏は、薬師如来の脇侍の日光菩薩立像、月光菩薩立像の2組の4体4石と1石に3体ずつで4石に彫られた十二神将立像である。

1970頃 モノクロ
1973頃 モノクロ
参考文献;『在明地方石文集』(多田隈豊秋編著 有明地歴研究会刊 昭和43年)
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