![]()
にほんブログ村
室町時代
大分県日田市中津江村大字合瀬4171-1
凝灰岩
中津江村合瀬の鯛生金山跡から熊本県山鹿市鹿央町へつながる県道9号線日田バイパスの細道を市ノ瀬公園を目指して2キロ程進み、公園を300メートル過ぎた所で、里道へ左折し、鯛生川に架かる橋を渡り100メートルほどで道路右側に小さな1区画が設けられている。
宝篋印塔は、新しい基壇上に石碑と並んで建てられている。相輪は、後補。各部には、かなり損傷がある。
基礎下部幅;49.5 基礎上部幅;25.0 基礎高;39.0
塔身幅;21.5 塔身高;14.0
笠下部幅;25.5 笠軒幅;36.5 笠高;41.0
基礎は、通常の宝篋印塔基礎と異なり、1段目の側面高を他段よりわずかに高くするだけで、同じような高さの6段を重ねる。下部は、基壇にセメントで固定されている。下3段は、段形が摩耗し、4段目も摩耗が進んでいる。各段の高さ、幅は、その区分線が残っており測定できるが、1段目の幅は、残存部からの推定である。各段は、幅に比べて高めの作り出しで、しかも6段積みのため、通常の宝篋印塔に比べて随分高い比高になっている。
塔身は、幅に比べて比高を随分低くして、笠の軒下2段と1石で造り出す。4面とも無地。
笠は、軒下で塔身と1石作りの軒下段とセメントで接着し、固定されている。軒下2段、軒上は基礎と同じく6段で、各段をほぼ同じ高さで作り出す。軒下2段の幅は、基礎の5段6段と幅を揃えている。軒は、幅を3段幅と4段幅との中間にし、厚みは、段の約2倍にする。軒の上部は、1.5センチ厚で面を取って、隅飾下の露盤につなぐ。隅飾は、薄い露盤を付け、その上に、端側を高く、内側を低くした縦長の花弁3個を並べ、輪郭の稜線を残して、中全体を浅いU字状に削っている。高さは、4段目の中ほどにする。通常、宝篋印塔隅飾に区分線を付ける時は、呉越王銭弘俶塔と同じく横線区分にされるが、九州様式請花部を持つ宝篋印塔の隅飾に区分線を付ける場合は、横区分線は見られず、縦区分になる。
相輪は、失われている。
3石の組み合わせは、石材、各部のバランスに違和感は無く、造立当初の部材のが組み合わせと考えられる。





合瀬宝篋印塔実測復元図
相輪が欠失しており、相輪請花部を確認できないが、基礎6段、低い塔身、露盤付き縦3弧隅飾、軒上6段は、熊本県旧鹿本郡内に分布する6段式宝篋印塔と同じ構成である。当地から南西の宿ヶ峰尾峠を越える県境は、険しい峠道ではあるが、熊本県側の麓、菊鹿町矢谷まで10キロ程と近い距離に位置している。
天授四年(1378)銘 寺尾野宝篋印塔(熊本県菊池市大字龍門字寺尾野)
石材の凝灰岩、相輪は欠失しているものの、基礎6段、比高の低い塔身、縦区分3弧の隅飾、塔身と軒下2段を1石で作る、笠上6段などは、この塔が熊本県北部で加工され、移入されたことを示している。熊本県旧鹿本郡、菊池市を中心に狭い地域に分布する、この特殊な形をした6段式宝篋印塔は、完形の塔が少ない。そのため、造立の時代を推定するのは難しいが、熊本県菊池市大字市野瀬菅原神社に残る室町時代中期「文明九年四月吉日」銘の塔身と軒下2段1石作りの比高を比較すると、合瀬宝篋印塔塔身がより低く、また、縦区分3弧隅飾の形などから、室町時代中期から後期にかけた時期に造立されたと考えられる。
熊本県菊池市大字市野瀬菅原神社
2019.10.07.調査
調査協力者;A.I.
日田市教育委員会に所在地の教示をいただいた。
-----
EXTENDED BODY PRIVATE:


