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 1476.08.□  文明八年八月□





大分県日田市大字西有田1256-1 大師堂(不動堂とも)





凝灰岩製





 『大分の石造美術』201Pには「三宮町山下集会所に宝篋印塔がある。」と記載されている。実際には、その山下集会所から更に150メートル程集落に入った、道路から1段上を開いて設けられた大師堂の狭い境内の岩壁に接して建っている。大師堂は、岩壁に仏龕2個を並べて彫り込み、中に、近世末期以降造立と思える石造丸彫不動明王立像、石造丸彫弘法大師坐像を安置し、岩壁に接して小堂を建ててある。三宮町は旧町名で、現在の地番には無い。
2019.10.06.大分県日田市西有田1258-1大師堂宝篋印塔文明八年 (4)





 2019.10.06.大分県日田市西有田1258-1大師堂宝篋印塔文明八年 (8)
基壇
幅;48.0 基壇高;17.0





塔高;101.5センチ





基礎側面幅;29.0 基礎側面高;16.5





基礎上面幅;23.5 基礎高;19.5





塔身下部幅;20.0 塔身上部幅;19.5 塔身高;19.5





笠下面幅;23.5 笠軒下幅;28.5 笠軒厚;6.0 隅飾上部幅;約32.0





笠上5段幅;18.0 露盤上辺幅;18.0 露盤高;5.5 笠高;25.0





伏鉢下部径;13.0 伏鉢上部径;11.0 伏鉢高;3.0





請花上部径;13.5 請花高;3.0





1輪下部径;13.0 刹7輪径;13.0 





反花下部径;12.5から13.0 反花高;約3.0





宝珠頸下部径;8.5 宝珠頸上部径;9.5 宝珠頸高;1.5





宝珠最大径;13.0 宝珠高;約10.0





相輪高;37.0

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2019.10.06.大分県日田市西有田1258-1大師堂宝篋印塔文明八年 (25)

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 基壇は、凝灰岩製1石の1段。新しい加工のように見え、後補と考えられる。





 基礎は、側面の高さに比べて幅を小さくする。左側面は、全体に表面が0.5センチ程の厚みで破損している。上に2段を造り出す。1段目は側面を垂直にするが、2段目は、下辺より上辺を0.5センチ狭く加工する。基礎側面幅と上辺幅の差は小さく、比高は高い。





基礎正面と右側面に刻字がある。背面は、無地、左側面は表面破損のため不明。





(基礎正面)





「道照禅定門」





「権大僧都法印菩榮」





「妙琳禅定尼」





(基礎右側面)





「文明八年丙/申八月□  」





 塔身は、幅の広い基礎上面に合わせて幅を大きく取る。下部幅より上部幅を0.5センチ小さくする。幅と高さは、ほぼ同じ寸法で立方体に近い形をしている。四方には、金剛界四仏種子「ウーン」「タラーク」「キリーク」「アク」を刷毛書で浅い薬研彫にし、文字の輪郭を細く線刻している。この線刻は、文字を彫るための当て線であったものかもしれない。書体は、まとまっているが、浅い彫り込みと相まって、力強さは感じられない。
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 笠は、軒下2段、軒上5段とその上の露盤までを1石で作る。破損している所が多い。軒下2段は、各部かなり破損しているが、幅、高さともに基礎上2段とほぼ同寸にする。ただ、こちらは、2段とも下辺を小さくして側線を内傾させている。軒は、下辺の幅を基礎側面幅と同寸で、幅に対して随分厚くする。隅飾は、軒との区分を付けない延作りで、軒下辺から角を直線で上方へ開いて立ち上げ、隅飾上部幅は、軒下部幅より3.5センチ広げる。このため、軒とそれに続く隅飾の側面は、全体に下方へ内傾する。隅飾は、背面左の1個を欠失、残った3個も上部を欠損しているが、残存部から、軒上4段目と同じ高さの造り出しで、側面は輪郭付の1弧と確認できる。輪郭の内側の弧線は、軒上1段目から始まり、角側は、軒上線より少し下まで伸ばしている。弧線側の中央付近の輪郭内から蕨手文を線刻で加える。上5段は、基礎、笠軒下の各段より少し高く作る。露盤は、高さを段の3倍ほどにし、軒幅に比べて幅を大きく取る。右側面から背面にかけて大破し、破損、摩耗が進んでいるが、残存部から上辺の幅を少し狭めた台形で、その側面に2個の長方形枠を平底に彫り込んでいたことがわかる。枠内は、無地のままにしている。
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 相輪は、上下同じ径の太い円柱を使って、下から伏鉢、請花、7輪、反花、宝珠の構成で彫り出す。下部の伏鉢が貧弱に見え、特に7輪も同径にしているため、安定感を欠いて見える。伏鉢は、下から1.5センチ程までは立気味で、上部の曲面を請花下部につなぐ。請花は、上辺から0.5センチ開けて、単弁16葉を薄肉にする。単弁の大きさや形は、あまり揃っていない。輪は、7輪、区分は明瞭だが、彫り込みは浅い。反花は、請花を逆にした同様の作りで、それより大きくした単弁11

葉を薄肉彫する。宝珠は、上部の曲線は通常の形だが、下部は切ったように低くして絞る形にしている。反花と宝珠の間は、紐帯とも見える低い頸を作ってつなぐ。










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(図26)20191006西有田大師堂宝篋印塔実測図

 塔は、各部の石材や彫刻に違和感は無く、造立当初の組み合わせと思われる。





 基礎の比高は高く、塔身が大きく、笠も比高を高くして、隅飾上部幅も基礎幅より大きく取り、露盤は幅広で、その上に乗る相輪も太く作る。塔形は、上下の組み合わせ各部の幅の出入りが小さく、笠幅で最大になり、比高も高く、その上に乗る相輪径が太いため、上部が重く感じられる作りになっている。基礎や笠の造出し段が上下幅の差が小さい、大き過ぎる塔身、四仏種子の書体と浅い薬研彫、上斜めに開いた笠隅飾と軒面が内傾する作り、相輪の細部と形状など、紀年銘のとおりに室町時代中期ころ造立されたと考えられる。 





 





2019.10.06.調査





 





調査協力;I.A.





 





参考文献;『大分の石造美術』(望月友善著 木耳社 S.50.09.30.)








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