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1350.09.~1351.11.  貞和六年九月から貞和七年11月の間頃


福岡県大牟田市大字今山字本村2538普光寺





 普光寺境内の不動堂内に祀られている。長方形板状加工石の表面と両側面を整え、薄肉彫の岩座上に不動明王立像を半肉彫する。石背面は、粗仕上げのままにする。下部は、砂地に直接埋め込む。





石高;64.5


基部幅;61.5 基部最大幅;62.0 


最大厚;20.0 上部厚;15.0


像高;約46.5





 左側面に1行、大き目の刻字が有る。


「大願主藤原助継」


願主名以外には、刻字は確認できない。これにより、藤原助継の作品であることがわかる。


 碑は、上部と左上角が破損欠失し、像の左側上半分と像右側下半分も大きく割れ欠け、龕の上部や頭部と剣先も損傷する。体部は、幸い破損が少なく、残りは良い。


 像は、体躯に沿って深さ2.5センチから3.0センチの龕を彫り込み、厚めに半肉彫する。天衣は、着けない。足先は、裳裾から均等に出し、脚を開いて、足先を外に向けて立つ。頭部は、表面が削れ、頭頂部は欠けており詳細は確認できない。右手は、肘を直角に曲げて長剣を右肩に掛けて持ち、左手は下げて、羂索を手元で丸めて持ち、房の付いた先を長く垂らす。左手、両足は、指まで彫刻する。右手は、表面が欠けて指は確認できない。両耳に大きな耳環、中央飾付き胸飾り、腕釧、足釧を着ける。上半身の衣文の表現は、駛馬天満宮五重塔残欠の如来坐像に似て、それよりは写実性が増し、右肩から肘まで覆う偏袒右肩の形に着付ける。左肩から腹部に掛かる衣文は、左肘近くまで幅広く覆うが、条帛のようにも見え、上半身は、納衣か条帛のどちらを意図したかよくわからない。腰には、裳の返しを大きく出す。右袖先は、先を細く尖らせ1回転させて不自然な形で長く伸ばす。この袖の形は、駛馬天満宮五重塔残欠の四天王立像の袖に似る。衣文は、大部分を朱彩し、裳裾は襯衣(しんい、肌着)として区分するためか黄彩する。像下左の岩にも黄彩が残る。龕外の両側には、線刻火炎3個が残り、線刻内を朱彩する。他に、朱で描いた火炎1個がある。この火炎は、同形のものが藤原助継作品の駛馬天満宮五重塔残欠、藤田天満宮□重塔残欠、風浪宮五重塔にも見られる。表面の仕上げに比べて、体側面の仕上げは粗い。


 藤原助継作では、唯一、紀年銘が無い作品である。造立の時期は、推定するほかないが、左肩から腹部、裳の返しなどの衣文表現、体側の粗い仕上げ、線刻火炎などの彫刻や、彩色などから、駛馬天満宮五重塔残欠の貞和六年九月(1350.09.)よりも後、風浪宮五重塔の正平十年十月(1355.10)より前の期間、それに加えて、作者名「助継」が藤田天満宮□重塔残欠の貞和七年十一月(1351.11.)から「助次」に変わっており、それより前の期間に造立されたと考えられる。





2018.09.16.調査










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