










1254.10.12. 建長六年十月十二日
奈良県奈良市雑司町
花崗岩製
重要文化財
奈良県奈良市雑司町
花崗岩製
重要文化財
塔高;269センチ(『日本石造美術辞典』)
法華堂礼堂正面入口の前にある。笠の一部が欠損しているが、当初からの部材が揃ってい
る。花崗岩製で質の異なる石材を混用している。
基礎は、不整四角形自然石の上面を加工して、浮彫で幅広の単弁8葉に間弁を付け、低平な円形反花座を造り出す。単弁の内側は、、小さな弁先を円形に並べて囲む。中央に蓮肉を作り、上面に小円を線刻している。
竿は、円柱で、蓮肉上に乗る。中節は、3節にして中を太く、上下に細い2本を加える。竿の上下は中節と同じ太さの太い節と中節のものより少し太くした細い節を合せた2節を加工している。円柱は、各節の張り出しが低く、中節の上下ともに中央を太くして、節に接するところは絞っている。
銘は6行、竿の中節から上にある。
る。花崗岩製で質の異なる石材を混用している。
基礎は、不整四角形自然石の上面を加工して、浮彫で幅広の単弁8葉に間弁を付け、低平な円形反花座を造り出す。単弁の内側は、、小さな弁先を円形に並べて囲む。中央に蓮肉を作り、上面に小円を線刻している。
竿は、円柱で、蓮肉上に乗る。中節は、3節にして中を太く、上下に細い2本を加える。竿の上下は中節と同じ太さの太い節と中節のものより少し太くした細い節を合せた2節を加工している。円柱は、各節の張り出しが低く、中節の上下ともに中央を太くして、節に接するところは絞っている。
銘は6行、竿の中節から上にある。
「敬白」
「奉施入石燈炉一基」
「右志者為果宿願所」
「奉施入之状如件」
「建長六年甲寅十月十二日」
「伊権守行末」
「奉施入石燈炉一基」
「右志者為果宿願所」
「奉施入之状如件」
「建長六年甲寅十月十二日」
「伊権守行末」
中台は6角、薄手にする。竿に載せる底面は、竿の円柱に合わせてそれより大きくした円座を薄く造り出す。その外側に、円形の紐帯を断面半円に浮彫りし、そこから緩い曲面を作って側面下部まで繋ぎ、単弁12葉を太い線刻で明瞭に表す。角部は長い蓮弁、側面中央は短い蓮弁をそれぞれ6葉ずつ配している。
側面は、2区格狭間。6面とも同じで横長の長方形枠を平底に浅く彫り込み、その中に格狭間を平底に彫り込む。格狭間の花頭曲線は、中央を狭くして盛り上げ、大きめにした左右の小曲線は、肩下がりになっている。両側の側線は、張りのある曲線で作り、脚部につなぐ。
上に六角の2段を造り出す。
火袋は、六角。中台上に直接載せ、上部は、笠下部の浅い枘穴に大入れにしている。中台との接合部は、枘で噛み合わせていると思われるが確認できない。各隅に側柱を浮彫りする。正背面以外の側面4面は、4面とも同じ表現で、縦を4区分し、下区は2区格狭間、中区は無地壁と上下長押を付けた連子、上区の欄間部は2区に3本の横連子を彫っている。正背面の火口は、同じ加工で、中区一杯に縦長の長方形枠を刳り抜き、内側に薄い1段の枠を廻らしいている。柱の上下内側に扉軸受けの穴を加工する。下区の格狭間は、中台の格狭間に準じた形ながら、枠が小さく、幅が狭くなった分、花頭曲線の中央部の幅が狭く立ち上がり、両側の小曲線の肩落ちも大きくなっている。
笠は、6角で比高を低くする。下面は、火袋を大入れにする6角の枘穴を浅く彫り込む。枘穴は、火袋に比べて少し大きめで、この部分だけを見ると元からの組み合わせか多少不安が残るが、中台との接合部には違和感はないように思われる。照り起り屋根で、軒は、緩い真反で薄めに作り、軒下に垂木型の1段を加える。軒裏は、緩い膨らみを持たせている。蕨手は、4個が残り、2個は欠失、軒裏部分には膨らみを持たせて、6角の枘穴各角から隆起を作ってつなぎ、各角で立ち上げる。笠上部に、薄い露盤を造り出す。
宝珠部は、断面丸。低い軸部を加えて露盤に載せ、請花、宝珠共に1石で造る。軸部は無地、請花部は側面に単弁を線刻する。単弁の線刻は、彫が浅いように見受けられ、風化も有ってか明確には視認できない。宝珠は少し押しつぶした形で頂部を尖らせている。
銘文により、伊権守行末が願主となって鎌倉時代中期の建長六年甲寅十月十二日施入した事が分かる。伊行末は、伊派石大工の祖で、その来歴は、般若寺笠塔婆の長文の銘文に記されている。その作品は、他に大蔵寺層塔残欠(延応弐年、1240、奈良県宇陀市大宇陀栗野大蔵寺)、般若寺十三重塔(建長五年、1253、奈良県奈良市般若寺町)が知られる。
側面は、2区格狭間。6面とも同じで横長の長方形枠を平底に浅く彫り込み、その中に格狭間を平底に彫り込む。格狭間の花頭曲線は、中央を狭くして盛り上げ、大きめにした左右の小曲線は、肩下がりになっている。両側の側線は、張りのある曲線で作り、脚部につなぐ。
上に六角の2段を造り出す。
火袋は、六角。中台上に直接載せ、上部は、笠下部の浅い枘穴に大入れにしている。中台との接合部は、枘で噛み合わせていると思われるが確認できない。各隅に側柱を浮彫りする。正背面以外の側面4面は、4面とも同じ表現で、縦を4区分し、下区は2区格狭間、中区は無地壁と上下長押を付けた連子、上区の欄間部は2区に3本の横連子を彫っている。正背面の火口は、同じ加工で、中区一杯に縦長の長方形枠を刳り抜き、内側に薄い1段の枠を廻らしいている。柱の上下内側に扉軸受けの穴を加工する。下区の格狭間は、中台の格狭間に準じた形ながら、枠が小さく、幅が狭くなった分、花頭曲線の中央部の幅が狭く立ち上がり、両側の小曲線の肩落ちも大きくなっている。
笠は、6角で比高を低くする。下面は、火袋を大入れにする6角の枘穴を浅く彫り込む。枘穴は、火袋に比べて少し大きめで、この部分だけを見ると元からの組み合わせか多少不安が残るが、中台との接合部には違和感はないように思われる。照り起り屋根で、軒は、緩い真反で薄めに作り、軒下に垂木型の1段を加える。軒裏は、緩い膨らみを持たせている。蕨手は、4個が残り、2個は欠失、軒裏部分には膨らみを持たせて、6角の枘穴各角から隆起を作ってつなぎ、各角で立ち上げる。笠上部に、薄い露盤を造り出す。
宝珠部は、断面丸。低い軸部を加えて露盤に載せ、請花、宝珠共に1石で造る。軸部は無地、請花部は側面に単弁を線刻する。単弁の線刻は、彫が浅いように見受けられ、風化も有ってか明確には視認できない。宝珠は少し押しつぶした形で頂部を尖らせている。
銘文により、伊権守行末が願主となって鎌倉時代中期の建長六年甲寅十月十二日施入した事が分かる。伊行末は、伊派石大工の祖で、その来歴は、般若寺笠塔婆の長文の銘文に記されている。その作品は、他に大蔵寺層塔残欠(延応弐年、1240、奈良県宇陀市大宇陀栗野大蔵寺)、般若寺十三重塔(建長五年、1253、奈良県奈良市般若寺町)が知られる。
2017.12.12.撮影
モノクロ 1970年代撮影
モノクロ 1970年代撮影
参考文献;『石造美術入門』(川勝政太郎著 社会思想社 S.42.05.30.)
『日本石造美術辞典』(川勝政太郎著 東京堂出版 S.53.08.25.)
『日本石造美術辞典』(川勝政太郎著 東京堂出版 S.53.08.25.)
-----
EXTENDED BODY PRIVATE:
