



大納言塚 五輪塔 大和郡山市
奈良県大和郡山市箕山町
五輪塔 花崗岩製
奈良県大和郡山市箕山町
五輪塔 花崗岩製
豊臣秀吉の弟、豊臣秀長の墓所。郡山城で天正19年1月22日卒。当地に葬られたという。この墓域の当初の状況は分からないが、豊臣家が滅亡した後、荒廃していた墓地を、安永6年(1777)に整備し、五輪塔が建立されている。墓地を囲む土塀もその時に建造されたとされる。
五輪塔は、基壇2段、反花座を備えている。反花座の側面は、高く取り、上の反花の蓮弁は近世式の誇張した表現になっている。地輪は、少し高め。水輪は、径に比べて背が低く、地輪、火輪幅より径を小さくして上辺、下辺径も小さくしている。火輪は、軒が厚く、両端を更に厚くして先を尖らせ、その分、軒を強く内傾させている。軒幅に比べて、軒上は極端に細身になっている。風空輪は、大き目に1石で造る。風輪は、深鉢型。その上に頸を加える。空輪は押しつぶれた宝珠形で最大径部が出張り、頂部は不自然に高く尖らせている。塔形は、縦に高く造る。各部の石材とその加工仕上げに違和感はなく、同一のものに見え、当初からの1具と思われる。
近世石塔の時代編年はよくわからないが、塔形からは、桃山から江戸時代初期よりも降った時代に造立されたものであることが理解される。
地輪正面に、2行の刻字がある。
「大光院殿前亜相」
「春岳紹栄大居士」
調査する時間がなく、それ以外は確認できなかったが、同地の看板によると、台座(基壇か反花座か確認できていない。)に
『「春岳院現住法院訓祥、郡山内町中建立之」と刻む。』と記されている。
「大納言塚」の名称は、秀長が従二位権大納言であったことに由来する。
五輪塔は、基壇2段、反花座を備えている。反花座の側面は、高く取り、上の反花の蓮弁は近世式の誇張した表現になっている。地輪は、少し高め。水輪は、径に比べて背が低く、地輪、火輪幅より径を小さくして上辺、下辺径も小さくしている。火輪は、軒が厚く、両端を更に厚くして先を尖らせ、その分、軒を強く内傾させている。軒幅に比べて、軒上は極端に細身になっている。風空輪は、大き目に1石で造る。風輪は、深鉢型。その上に頸を加える。空輪は押しつぶれた宝珠形で最大径部が出張り、頂部は不自然に高く尖らせている。塔形は、縦に高く造る。各部の石材とその加工仕上げに違和感はなく、同一のものに見え、当初からの1具と思われる。
近世石塔の時代編年はよくわからないが、塔形からは、桃山から江戸時代初期よりも降った時代に造立されたものであることが理解される。
地輪正面に、2行の刻字がある。
「大光院殿前亜相」
「春岳紹栄大居士」
調査する時間がなく、それ以外は確認できなかったが、同地の看板によると、台座(基壇か反花座か確認できていない。)に
『「春岳院現住法院訓祥、郡山内町中建立之」と刻む。』と記されている。
「大納言塚」の名称は、秀長が従二位権大納言であったことに由来する。
2017.12.10.写真
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