











鎌倉時代後期
百塔自然石塔婆群 8基
所在地;福岡県福津市大字勝浦字新原3783 双山(ぬやま)
大乗院自然石塔婆群 3基
所在地;福岡県福津市大字勝浦1680 大乗院 現在、所在不明
百塔自然石塔婆群 8基
所在地;福岡県福津市大字勝浦字新原3783 双山(ぬやま)
大乗院自然石塔婆群 3基
所在地;福岡県福津市大字勝浦1680 大乗院 現在、所在不明
百塔自然石塔婆群の第4群について述べる。
第4群に属する彫刻は、
(3)、梵字「ウーン」・「カーンマーン」・文字「大日」
(5)、梵字「ウーン」
(6)、梵字「アーンク」
(9)「アルクシュブルユー」
(11)「ウーン」
以上、5基が確認される。
これらを並べて見ると、命点が微妙に異なるものがあるものの、梵字の大きさ、刷毛の太さ、書体、文字の輪郭線の彫り方などが非常に似通っており、同一手のものと思われる。
その組み合わせを見ると、「アーンク」胎蔵界五点具足の大日如来、「大日」大日如来、「カーンマーン」不動明王、「ウーン」・「ウーン」・「ウーン」は五大明王中の3尊、「アルクシュブルユー」は音だけで意味を持たない文字という構成になる。これは、文字の「大日」を金剛界大日如来と考えれば、金胎両界の大日如来に五大明王と「アルクシュブルユー」を加えて立体的な曼荼羅を造ったものと思われる。ただし、五大明王とするには、「ウーン」が一字不足しているので、一尊を「カーンマーン」に変えた、或いは、一字分が失われたとの両方が考えられ、或いは、大きく欠損している(11)に「ウーン」字が彫られていた可能性も考えられる。
この梵字群の最大の特徴は、これまで述べてきた、第1・2・3群すべての群にかかわって、梵字が彫られていることである。第1・2群は、改立と考えられるので、第1群の3基と重なるのは当然としても、第3群は、1・2群とは1基も重ねていない。また、第1・2・3群とも正面1面のみを使用しているのに比べて、第4群だけは、(3)の両側・背面も使用している。
では、それまでに、少なくとも2種類(実際は3種類)の曼荼羅石塔群があったにもかかわらず、何故、第4群は新造されることなく追刻として作られる必要があったのだろうか。先の3群の中で最も新しいと思われる第3群からかなりの時代の推移とともに、現在百塔の自然石塔婆群を分析しようとして起こっているような混乱が、その当時にも感じられたのではないだろうか。追善の法要を行う時に、これらの石塔群が混在することによって起こる宗教的法体系の混乱を解決するために、それまで活用されてきたであろう旧塔を廃棄することなしに、追刻という方法で、大日如来と明王部で構成する諸尊種子で全体を一体の曼荼羅として結び合わせ、追善供養の本尊としたのではないだろうか。
これらのことを考え合わせると、第4群の造立時期は、梵字の書体からも、鎌倉時代後期造立と考えられる第3群からかなり遅れて、それでもなお、鎌倉時代の後期に含まれる時代と考えたい。
第4群に属する彫刻は、
(3)、梵字「ウーン」・「カーンマーン」・文字「大日」
(5)、梵字「ウーン」
(6)、梵字「アーンク」
(9)「アルクシュブルユー」
(11)「ウーン」
以上、5基が確認される。
これらを並べて見ると、命点が微妙に異なるものがあるものの、梵字の大きさ、刷毛の太さ、書体、文字の輪郭線の彫り方などが非常に似通っており、同一手のものと思われる。
その組み合わせを見ると、「アーンク」胎蔵界五点具足の大日如来、「大日」大日如来、「カーンマーン」不動明王、「ウーン」・「ウーン」・「ウーン」は五大明王中の3尊、「アルクシュブルユー」は音だけで意味を持たない文字という構成になる。これは、文字の「大日」を金剛界大日如来と考えれば、金胎両界の大日如来に五大明王と「アルクシュブルユー」を加えて立体的な曼荼羅を造ったものと思われる。ただし、五大明王とするには、「ウーン」が一字不足しているので、一尊を「カーンマーン」に変えた、或いは、一字分が失われたとの両方が考えられ、或いは、大きく欠損している(11)に「ウーン」字が彫られていた可能性も考えられる。
この梵字群の最大の特徴は、これまで述べてきた、第1・2・3群すべての群にかかわって、梵字が彫られていることである。第1・2群は、改立と考えられるので、第1群の3基と重なるのは当然としても、第3群は、1・2群とは1基も重ねていない。また、第1・2・3群とも正面1面のみを使用しているのに比べて、第4群だけは、(3)の両側・背面も使用している。
では、それまでに、少なくとも2種類(実際は3種類)の曼荼羅石塔群があったにもかかわらず、何故、第4群は新造されることなく追刻として作られる必要があったのだろうか。先の3群の中で最も新しいと思われる第3群からかなりの時代の推移とともに、現在百塔の自然石塔婆群を分析しようとして起こっているような混乱が、その当時にも感じられたのではないだろうか。追善の法要を行う時に、これらの石塔群が混在することによって起こる宗教的法体系の混乱を解決するために、それまで活用されてきたであろう旧塔を廃棄することなしに、追刻という方法で、大日如来と明王部で構成する諸尊種子で全体を一体の曼荼羅として結び合わせ、追善供養の本尊としたのではないだろうか。
これらのことを考え合わせると、第4群の造立時期は、梵字の書体からも、鎌倉時代後期造立と考えられる第3群からかなり遅れて、それでもなお、鎌倉時代の後期に含まれる時代と考えたい。
どの群にも属さない(7)梵字「カーン」について
鎌倉時代中期
(7)の一面に梵字「カーン」が輪郭を浅く細い線刻に表わされる。書体は個性があって力強く、端正で、かなり古い時代の風格を示している。特徴的なのは、命点が他の梵字と異なり、表に出さず、内向してあらわされ、また、書体も異なる。これらにより、他のどの群にも加わらないことが理解される。アー点から空点へは刷毛を流して、ひと筆に表し、よどみがない。造立の時代は、第2群に近く、第3・4群よりも古い鎌倉時代中期末から後期の初めころではないだろうか。この自然石塔婆は、百塔の石塔群の中で、1基だけ独立し、どのような経緯でここに存在するのか不明である。他の群に影響したり影響されたりしている痕跡は見えない。或いは、百塔の外にあったものを持ち込まれた可能性も考えられる。
鎌倉時代中期
(7)の一面に梵字「カーン」が輪郭を浅く細い線刻に表わされる。書体は個性があって力強く、端正で、かなり古い時代の風格を示している。特徴的なのは、命点が他の梵字と異なり、表に出さず、内向してあらわされ、また、書体も異なる。これらにより、他のどの群にも加わらないことが理解される。アー点から空点へは刷毛を流して、ひと筆に表し、よどみがない。造立の時代は、第2群に近く、第3・4群よりも古い鎌倉時代中期末から後期の初めころではないだろうか。この自然石塔婆は、百塔の石塔群の中で、1基だけ独立し、どのような経緯でここに存在するのか不明である。他の群に影響したり影響されたりしている痕跡は見えない。或いは、百塔の外にあったものを持ち込まれた可能性も考えられる。
2009.07.01
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