にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

室町時代末期から桃山時代前期


宮崎県西臼杵郡日の影町大字岩井川字大人小字西中 地蔵堂境内


凝灰岩製





 石塔群の8は、一部破損は有るものの、群中、完形に近いと考えられる塔の内の1基である。





塔高;133.5センチ


基礎正面幅;40.0 基礎奥行;40.5 基礎側面高;17.0


基礎上面1段高;約.3


基礎高;18.5 


塔身幅;22.0   塔身奥行;21.0


塔身高;31.0   基礎枘との噛合せ高;1.5


笠下辺幅22.5   1段目厚;2.5  2段目厚;5.5


笠軒上辺幅;38.0 笠軒下辺幅;32.0


笠軒側面厚;6.0  笠軒厚;7.0


隅飾上部幅;39.0 隅飾高;13.5


笠上辺幅;18.5


笠上辺枘穴径;13.5 枘穴底径;12.5 枘穴深;7.5


笠高;28.5


伏鉢下部径;18.5 伏鉢上部径;15.0  伏鉢高;5.0


敷茄子径;18.0  敷茄子高;3.5


請花下部径;14.5 請花上部径;18.0 請花高;4.5


輪1.2径;18.0


天蓋板径;17.5  天蓋板厚;2.5


上部請花下部径;14.0 上部請花上部径;17.0 上部請花高;5.5


宝珠下部径;12.0 宝珠最大径;17.5   宝珠高;15.0


相輪高;55.5


相輪下部枘上部径;11.5 相輪下部枘下辺径;11.0 


相輪下部枘高;7.0





 基礎、塔身、笠、相輪の4石の組み合わせである。この内、基礎は、2石に割れているのを合せて置かれている。


 基礎は、一般的な宝篋印塔に比べて、比高を低く造る。2つに大きく割れているだけでなく、表面は、かなり傷んでいる。現状で確認すると、側面の上辺から1.2センチの高さまで浅くを彫り沈めて1段を作り、上辺角を小さく丸面取りに加工し、その幅を少し狭めて両側にもまわしている。基礎上面には、浅い1段を造り出す。明確ではないが、これによって、基礎上は、2段の造り出しを意図したものかと思われる。基礎上面に、塔身幅の大きさに合わせた断面四角の枘穴を彫り込む。


 塔身は、縦長に比高を高く造り、下部は、基礎上の枘穴にそのまま大入れにする。4隅の角は、0.5センチほどの幅で面を取る。上部は、笠下面とほぼ同寸法で合わせる。四方月輪中に四方仏種子を筆書き薬研彫する。種子は、東から


「バーイ」「カ」「キリーク」「バク」


「薬師如来」「地蔵菩薩」「阿弥陀如来」「釈迦如来」


に該当する。梵字「カ」は、一般的に地蔵菩薩の種子として使用されることが多い。ここでは、顕教四仏の弥勒菩薩種子「ユ」を地蔵菩薩「カ」に変えた配置になっている。筆書きの書体には、命点や撥ねの部分などに癖があり、力も弱く、筆の運びもぎこちなさが見て取れる。


 笠は、軒下2段、軒上4段を造り出している。段数は通常だが、軒下を厚くして、軒、軒下2段の各側面を、上幅より下幅を大分小さくして、強く内傾させた、特徴のある造りである。


 軒は厚くする。その側面は、上辺端が尖って見えるほど下辺幅を小さくして、極端な内傾面にしている。


 軒下の1段は、厚みを軒とほぼ同じに取り、側線は、軒よりわずかに立てるが、これも強く内傾させる。塔身と接する1段は、それらより半分以下の高さだが、側面は、同様に内傾を示す。


 軒上4段は、1、2段を少し高めに、3、4段は、軒最下段に近い高さで薄めにする。側面は、下から1、2段は上幅を大きく取って内傾させ、3、4段はそれとは逆の下拡がりに加工する。また、最上段の4段目は角を丸面取りしている。


 軒上部は、軒端から1.5センチ入れた所まで1センチ厚の斜面を作り、その上に隅飾を造り出す。隅飾は、1弧。高さは、上4段の高さに揃えている。角を膨らんだ曲線で中ほどの高さまで広げ、その上はわずかに開きながら直線的に立ち上げる。上辺は水平部を広く取り、側面を見ると、下辺幅と上辺幅の差が少ない角張った形になっている。隅飾上部の幅が、塔最大幅になる。


 笠上辺に、相輪の枘を請ける断面丸の枘穴を彫り込む。


 相輪は、1石。全て平断面円で、伏鉢、円盤状の敷茄子、請花、2輪、天蓋板、上部請花、宝珠を造る。請花は、側面に先尖りの形式的な線刻蓮弁10葉を廻らす。その上に高く彫り残した2輪を造るが、或いは、天蓋板も含めた3輪で有るかもしれない。上部請花は、下部請花より径を小さく、高さを少し高くして、側面に下部請花と同様の線刻蓮弁9葉を配している。宝珠は、先をわずかに尖らせて、形はいいが、少し膨らみ気味であまり力強さは感じられない。


 基礎は比高が低い。基礎上部の段は、極端に低く、形式的になっている。全階式宝篋印塔基礎上部の造り出しの段は、南北朝時代後期ころから低くするものが見られるようになり、同西臼杵郡日之影町大字七折東深角宝篋印塔(室町時代中期、 文安二二秊仲春十九日銘、1447.02.19.)は、同様の傾向を示して低いながらも、2段は、なお明瞭に表現されている。成願寺宝篋印塔残欠群(宮崎県日向市東郷町大字山陰字鶴の内 成願寺境内)は、全階式塔ではなく、笠の構造が全く異なるが、本塔に近い造り出しを持つ基礎が含まれ、塔身5基に天文十九年、元亀二年、天正三年、天正三年、慶長十九年の紀年銘が残っている。完形の塔は確認できず、どの紀年銘に該当するか確定できないが、室町時代末期以降というおおよその時代は知ることができ、本塔基礎は、この時代に含まれるのではないかと思われる。


 塔身は、比高が高すぎ、古い時代の宝篋印塔には、これほどの高さのものは見られない。角を薄く面取していることや、月輪中の四仏種子の筆書の書体を合せてみると、室町時代後期後半以降が考えられるのではないかと思われる。


 笠は、軒から下が極端に内傾させて作られている所は、これも室町時代末期から江戸時代初期にかけてのものと考えることができる。隅飾の上下の幅があまり変わらない角張った造りにも同様のことが見て取れる。


 相輪は、この塔にしては、太く大き過ぎる作りである。各部の彫り出しは明瞭で、輪は薄く、輪間が開きすぎているが深く明瞭に彫り出され、宝珠の形も良く出来ている。他の部材より古い時代の形をしているようにも見受けられるが、幸いにも、ほぼ同じ大きさで同様に組み合わされた構造の近似した塔が3基並んで残っており、石材も合っているので、相輪も元からの組み合わせであったことが確認できる。


 相輪は、少し古い時代のものにも見えるが、他の部材との組み合わせから、室町時代末期から桃山時代初期頃に造立されたものとしていいように思われる。








1978.08.14.調査










-----
EXTENDED BODY PRIVATE: