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鎌倉時代後期


大分県豊後高田市大字加礼川635 長安寺 身濯(みそぎ)神社(旧六所宮)境内


安山岩製


第一重基壇幅;148.0 第一重基壇高;42.5


第二重基壇幅;109.0 第二重基壇高;36.0


基礎幅;82.5 基礎高;31.5


反花座下部径;80.0 反花座高;25.0


身部径;70.0 身部下部径;60.0 首部径;44.0 首部高;9.5 


塔身高;68.0


笠軒幅;86.0 笠上部幅;33.5 笠高;40.0


露盤幅;33.0 露盤高;15.0 露盤・覆鉢高;21.5


    


 長安寺本堂前から急な石段を上がった上に身濯(みそぎ)神社が有る。その境内地の前面、山の斜面を背にして建っている。基壇は、国東の通例で、切り石を合せた2段。


 基礎幅は、笠軒幅より4センチ小さくする。これは大分県石塔の通例である。基礎から上だけを切り取って見れば、少し重心が高く、やや安定感を欠く塔形も、塔下に設けられた2重基壇の逓減率を大きく取っているため、違和感はない。基礎側面は4面共二区に分けて輪郭を付けて平底に彫り込み、更にその中に、鎌倉時代調の格狭間を平底に彫り込む。格狭間の形は、岩戸寺国東塔から両子寺国東塔への流れで、それに続いて、まだ国東地方の地方色が現れる前の癖のない、線が強く、上部の花頭曲線や側線の形に張りがある整った形をしている。格狭間は、輪郭に合わせて、少し立気味になっている。


 反花座は一石で造る。基礎幅より、基礎と接する最大幅をわずかに小さくし、高さも基礎側面高より6.5センチ低くしている。塔身を載せる上面から基礎への側線は張りのある曲線を示し、下部で弁先をわずかに撥ねる。複弁8葉、間弁を付ける。弁の形は、両子寺塔や伊美別宮八幡社塔の幅広で豊かな形から少し形式化が進み、幅を狭くする。先行する2塔では離れていた花芯を、中央で付けて、更に花芯に覆輪を加えている。弁の幅が狭い分、各弁の間は大きく空き、間弁を2個の花芯が露出するほど幅広に造っている。


 基礎幅が笠軒幅より小さいので、塔形が不安定に見えないようにするためか、基礎上は反花座だけにして、基礎と反花座を合せた比高を高くならないようにしている。


 塔身は、伊美別宮八幡社塔の樽型から少し比高が低くなり、それに加えて、下部が少しすぼまり気味になってきている。しかし、まだ、元応三年銘財前家墓地国東塔のような上部が張り出して下部がすぼまった壺形にはなっていない。この樽型に近い造形は、岩戸寺国東塔から両子寺塔、伊美別宮八幡社塔と続く石工系統につながっていることを示していると考えられる。身部の南面肩部に径11.0センチの納入口が彫り込まれ、中に奉籠孔の有るのが確認できる。


 笠は、軒幅を基礎より大きく造っている。比高は上記の3塔に比べて低くする。特に岩戸寺塔に比べると随分低くなり、伊美別宮八幡社塔に比べても低く、上辺部の幅も大きくなってきている。軒厚も3塔より心持厚くなっている。軒は、水平部を作り、両端で力強く反り上がる。


 露盤とその上の反花座は1石で、その上は欠失している。露盤は、笠上辺幅に合わせて大きめで、側面も高くなっている。その側面を2区に分け、輪郭を作り、基礎側面と同様に格狭間を平底に彫り込んでいる。反花座は一石で、枘穴が造られている。反花は、間弁付の複弁8葉。


 その上は欠失し、九輪は別物に代わっているが、塔の足もとに元の相輪の上部が置かれている。


 造立の時代は、各部の形態から比較して、伊美別宮八幡社国東塔正応三年(1290)より遅く願成就寺塔応長元年(1311)、照恩寺塔正和五年(1316)よりも少し早い時期、鎌倉時代後期も中頃1300年前後と考えられる。


 この塔は、国東塔初現の岩戸寺国東塔から両子寺塔、伊美別宮八幡社塔に続くもので、現在の所、残っているもので確認できる同一石工の最後の塔ではないかと思われる。この後、願成就寺塔、照恩寺塔からは異なる複数の石工ないしは石工集団に代が変わっているように見受けられる。





1975.08.05調査(モノクロ)


2017.09.05.撮影





参考文献;『大分の石造美術』(望月友善著 木耳社、S.50.09.30.)













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