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1308.09.〇〇  延慶元年九月〇〇日


福岡県大牟田市藤田町 護福寺跡


凝灰岩製





 宝篋印塔の基礎、彫像四方仏塔身、層塔笠の3石が重ねられている。





基礎幅;57.0センチ 側面高;28.5 上辺幅;33.5


基礎高;36.0


塔身幅;27.5 塔身高;30.5 像高;20.0





 上3段を造り出した宝篋印塔の基礎である。側面は、4面共同じに、幅の広い輪郭を巻き、内部一杯に造った交狭間との間を浅く平底に彫り込み、格狭間を彫り残している。形のいい花頭曲線は、左右の小曲線を少し下げているが、側線上部の曲線の肩は同じ高さで下がっておらず、引き締って張りのある曲線で脚部につないでいる。脚部は、下枠から少し浮かせている。九州石塔の格狭間は、鎌倉時代後期には、すでに型崩れしているものが多いが、その傾向は見られず、力強く美しい形を保っている。一部に破損が有るのが惜しまれる。


 上面には、方形の枘穴を浅く彫り込んでいる。


 格狭間の1面に、3行の刻字がある。





  「道〇禅門」     *「〇」は「阿」か?





 「延慶元年戊申」





  「九月○○日」    *「○○」は「〇六」か?





 上に、塔身を乗せている。4面に、頂部の尖った2重光背形龕を彫り込み、蓮座上に仏坐像を厚肉彫している。蓮座は、裳裾が被って中央の弁先は隠れているが、各弁を大きくして弁の数は少ないながら、像に対して十分な大きさと幅を取って安定感がある。像高20センチの小像だが頭部や、腕などの表現は的確である。肩から腹部にかかる衣文は厚手になっているが、膝から蓮弁に被さる衣文は薄手にして重苦しさを軽減している。1面は、定印阿弥陀如来で、他は欠損もあるが、その像容から金剛界四仏と思われる。像容を近くの南北朝時代中頃の層塔々身の石仏と比較して見ると格段の技術差のあることが確認できる。この事から、造立の時代は、鎌倉時代後期と思われる。


 塔身の上下に枘の造り出しはないが、宝篋印塔基礎上部の方形枘穴にちょうど入る大きさになっている。あるいは、基礎と塔身は、元からの組み合わせであった可能性も考えられる。





 上に、石塔笠が載っている。基礎や塔身に比べて小さく、別塔のものであることが分かる。軒裏が膨らみ、垂木の彫刻がある。垂木は薄めだが、明確に彫られている。傷みが激しく軒から上が十分に確認できないので、時代は分からないが、その形状から層塔の笠ではないかと思われる。








1985.06.10.調査











 




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