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鎌倉時代後期~南北朝時代初期


福岡県みやま市高田町竹飯1283 万願寺墓地


凝灰岩製





塔高;159.5センチ


地輪下部幅;73.0 地輪上部幅;74.5 地輪高;44.0


水輪下部径;43.5 水輪上部径;37.5 水輪最大径;56.0 水輪高;40.0


火輪軒下部幅;61.0 火輪軒上部幅;59.0 火輪最大幅;65.0 


火輪上部幅;20.0 火輪高;39.0


風輪下部径;20.0 風輪上部径;29.0 風輪側面高;14.0 風輪高;14.5


首部径;23.0 首部高;2.5


空輪下部径;23.0 空輪最大径;28.0 空輪高;20.0





 五輪塔を、一応組み上げてあるが、最初からの組み合わせかは判断が難しい。


 地輪は、左右で高さが4センチほど異なっている。水輪、火輪に比べて幅が大きすぎ、別塔の基礎を転用していると思われる。


 水輪は、球形の上下を切った形で、下部径を上部径より大きくとって、比高が少し低すぎるように見えるがその分安定感がある。四方に「キリーク」「サ」「サク」の阿弥陀三尊種子と金剛界大日如来種子「バン」を刷毛書き薬研彫で配している。書体や彫り込みは力が有り、しっかりしているように見受けられる。


 火輪は、水輪径より幅が大きいが、地輪の大きさに見合うほどではない。軒は、真反りで左右に大きく反り上がる。中央で12.5センチ、軒端で13.0センチと厚すぎるきらいはあるが、軒反りには力が感じられる。最大幅は、軒中央部にあり軒端から1.5センチ程張り出している。軒下には、厚い膨らみを加えている。この軒下の膨らみは、九州様式と言えるもので、例え五輪塔の火輪であっても石塔の笠は、建築物の屋根と同じく軒下に垂木などの構造物があるものとして造られていると考えられる。在銘塔で確認できる最初の塔は、鎌倉時代中期正嘉元年(1257)銘勝福寺五重石塔(旧熊本県球磨郡)、同じく正嘉元年銘の西安寺五輪塔(熊本県玉名郡玉東町西安寺白山宮)である。火輪上辺の幅は小さく取るが、軒と軒下が厚いので、屋根の傾斜は緩く、隅降り棟は、矢弛みは小さく直線的に見える。軒裏の膨らみを厚くする火輪は、程近い大牟田市普光寺五輪塔群や熊本県荒尾市浄業寺五輪塔にも顕著に見られるが、真反りの軒や軒裏の膨らみ曲線には、それらよりも、少し離れた熊本県玉名市山田の宝塔群の笠や、玉名郡玉東町西安寺五輪塔群、熊本市植木町の鎌倉時代中期五輪塔の火輪により近いものが感じられる。あるいは、熊本県玉名市周辺の石工の関与が有った可能性も考えられる。


 風、空輪の大きさは、火輪によく合っている。風輪と空輪の間に首部の1段を加えた特殊な形だが、風、空輪共に完好な形で曲線にも張りが見られる。


 地輪は、別物で、この基礎に見合った大きさの塔が有ったものと思われる。


 火輪と風、空輪は、大きさは合っている。火輪と水輪は、大きさが若干異なるものの、この差は、まだ許容できる範囲に有る。断定するのは難しいが、水輪、火輪、風空輪の3石は、元からの組み合わせだった可能性はあるものと思われる。


 造立の時代は、3石ともに、鎌倉時代後期から、降っても南北朝時代初期と思われる。


 同所には、この塔より小さい基礎に、「康永第三」(1344)「正平十五庚子十月十三日」(1360)の紀年銘を持つものが有り、参考になる。








1992.09.15. 27.調査













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