
1352.02.29. 正平七秊二月廿九日
大分県国東市国見町野田 真覚寺
安山岩製
大分県国東市国見町野田 真覚寺
安山岩製
基壇高;29.0センチ
塔高;114.0
塔高;114.0
基礎側面幅;58.5 基礎側面高;29.0 反花座高;10.5
基礎高;39.5
塔心軸部最大径;42.0 軸部高;35.0 首部高;4.0
塔身高;39.0
笠軒幅;58.0 軒中央厚;4.5 軒端厚;5.0~6.0
笠高;27.5
造り出し露盤幅;20.0 造り出し露盤高;8.0
基礎高;39.5
塔心軸部最大径;42.0 軸部高;35.0 首部高;4.0
塔身高;39.0
笠軒幅;58.0 軒中央厚;4.5 軒端厚;5.0~6.0
笠高;27.5
造り出し露盤幅;20.0 造り出し露盤高;8.0
基壇は、2石。塔の基礎下部は、内刳になっている。
基礎は、上面に反花座を造り出す。側面は2区に分け、わずかに横長の枠内に、格狭間を平底彫する。
格狭間は、枠に比べて小さめで、中空に配置する。上部の花頭曲線が平行にならず、頂部の茨が上に高く上がり過ぎ、両側の小曲線も持ち上がって、それにつながる側線の曲線にも硬さが見られ、鎌倉時代のものに比べて、時代の降下を感じさせる作りになっている。上部の反花座は、複弁8葉、間弁付きで、抑揚を持たせ、やや立体的な彫出である。初期国東塔に比べて、低い造り出しになり、塔の規模に合った安定感のある高さにしている。
塔身の軸部は、別宮八幡社国東塔に準じて、それより比高を抑えたすっきりした筒型で、下部を少し丸めたやわらかい表現になっている。上に首部を造り出し、笠の枘穴に大入れに合わせる。軸部と首部の境に追納孔を彫り込む。
笠は、軒部の破損が多くみられる。軒は薄め、平行部は短く、両端へ大きく反り上がり、軒反りの曲線は、鎌倉時代国東塔の力強さに比べると少し大人しい表現になってきている。隅降り棟はやや直線的に軒端につなぐ。上部に、露盤を造り出す。側面には、基礎側面と同じく2区に分け、露盤の高さに合わせて、基礎よりも横長にした枠内に格狭間を平底彫りする。
路盤上部の枘穴から覗くと、基礎まで円孔が貫通しているのが確認できる。基壇にもそれに合わせたように内刳が加工されている。追納孔はあるが、内部の貫通孔は、奉籠孔というよりは、石材運搬の軽量化を図るために加工されたようにも思える。
基礎は、上面に反花座を造り出す。側面は2区に分け、わずかに横長の枠内に、格狭間を平底彫する。
格狭間は、枠に比べて小さめで、中空に配置する。上部の花頭曲線が平行にならず、頂部の茨が上に高く上がり過ぎ、両側の小曲線も持ち上がって、それにつながる側線の曲線にも硬さが見られ、鎌倉時代のものに比べて、時代の降下を感じさせる作りになっている。上部の反花座は、複弁8葉、間弁付きで、抑揚を持たせ、やや立体的な彫出である。初期国東塔に比べて、低い造り出しになり、塔の規模に合った安定感のある高さにしている。
塔身の軸部は、別宮八幡社国東塔に準じて、それより比高を抑えたすっきりした筒型で、下部を少し丸めたやわらかい表現になっている。上に首部を造り出し、笠の枘穴に大入れに合わせる。軸部と首部の境に追納孔を彫り込む。
笠は、軒部の破損が多くみられる。軒は薄め、平行部は短く、両端へ大きく反り上がり、軒反りの曲線は、鎌倉時代国東塔の力強さに比べると少し大人しい表現になってきている。隅降り棟はやや直線的に軒端につなぐ。上部に、露盤を造り出す。側面には、基礎側面と同じく2区に分け、露盤の高さに合わせて、基礎よりも横長にした枠内に格狭間を平底彫りする。
路盤上部の枘穴から覗くと、基礎まで円孔が貫通しているのが確認できる。基壇にもそれに合わせたように内刳が加工されている。追納孔はあるが、内部の貫通孔は、奉籠孔というよりは、石材運搬の軽量化を図るために加工されたようにも思える。
銘が、軸部にある。表面の粒子が粗く、あまり読み取れなかった。参考に、『大分の石造美術』からも引用する。
「敬白」
「右○観世音菩薩御○○」 *2字目は「為」か。 7と8字目「薩御」は推読。
「奉造立塔婆一碁」
「右志趣者為○○四○○成佛」
「○○○○○○○法界○○」
「○○○ 」
「○○○ 」
「○○○ 」
「○○○ 」
「平○利益○○○ 」
「○○○ ○如件」
「正平七秊二月廿九日」
「大願主○○○ 」
「○○○ 」
『大分の石造美術』には、
「敬白」
「○○観世音菩薩御宝前」
「奉造立塔婆一碁」
「右志趣者為七世四恩○成」
「(約六行摩滅)」
「正平七秊二月廿九日」
「大願主○○敬白」
「○○人」
基礎側面の比高が少し高くなり、反花座と塔身の比高が低いところ、笠軒の造りに、南北朝時代正平七年(1352)の紀年銘は、よく合っているように思われる。格狭間は、それよりも降年代を感じさせる形になっているが、九州石塔の格狭間には、型崩れが早い時期から見られ、関西、関東のものとの比較は難しく、九州地域独自の時代編年が必要である。
相輪を失っているが、塔形から、岩戸寺、両子寺、別宮八幡社国東塔の系譜に属するものと考えられる。
相輪を失っているが、塔形から、岩戸寺、両子寺、別宮八幡社国東塔の系譜に属するものと考えられる。
1975.08.08.
参考文献;『大分の石造美術』(望月友善著 木耳社 S50.09.30.)
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