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南北朝時代中期~後期
大分県国東市国見町西方寺 清浄光寺六所宮境内
安山岩製

基壇高;40.0
塔高;160.0

 六所宮境内から1段高いところに、石幢残欠と並んで建っている。
 基壇は、2段。
 低い基礎の上に反花座を造り出す。基礎側面は、3区に分け、1段平底彫して、その中に格狭間を平底彫りに彫り込む。格狭間の中央茨からは平行部が無く左右に下がり、左右の小さめの2個小曲線はさらに肩を下げて、側線につなぐ。格狭間は、鎌倉時代後期や、南北朝時代初期程の力強さは感じられない。反花座は、複弁8葉で幅広の間弁を加える。国東地方の蓮弁としては、珍しく厚めで立体的に作る。塔身を請ける花芯と共に基礎側面高に合わせたように低く造り出す。
 塔身軸部は、上部に最大径を取り、下部を小さくすぼめた壺形に造る。財前家墓地国東塔(元応三年、1321)と同系統で、よく似ている。上に首部を造り出し、笠下に彫り込まれた枘穴に大入れにする。首部下部に径8.0の納入口を造る。内部の刳り抜きは塔身下部まで続いている。基礎内部も刳り抜かれているようである。塔身も、径に比べて、背を少し低めにしている。
 笠も、軒幅に比べて背を低くして、上部に露盤を造り出す。軒下に、薄い1段の垂木型を加える。軒は全体に反らせ、上部曲線を強くして、軒中央部厚8.5に対して軒端厚は、15.0と厚みを増す。屋根は照り屋根、隅降り棟は、屋根の比高が低いので傾斜は緩やかだが、軒端近くを低くして反り上がっている。造り出し露盤は、北西面が大破しているが、側面に長方形2個を浅く彫り込んで2区にしているのが確認できる。
 相輪は、下部を欠失、上部6輪と請花宝珠が残る。輪は明瞭に彫りだしている。請花は、下部に低い1段の紐帯を加え、側面に単弁8葉間弁付きを薄肉彫する。宝珠は押しつぶれたように低く造る。火炎の痕跡が見られ、元は四方火炎が有ったようである。
 塔は、各部の比高が低いので、国東塔にしては、安定感のある塔姿になっている。細部を見ると、各部の彫刻には南北朝時代前期からの後退が見られ、南北朝時代中期から後期ころと思われる。

1975.08.07.




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