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南北朝時代中期~後期


大分県豊後高田市夷 石河内 塔の本


安山岩








塔高;208.0センチ


現在は、折れていた相輪上部が復元してあり、塔高は230センチ以上になっているようである。





 基壇は確認できなかった。


 基礎、反花、請花、軸部、首部、露盤造り出しの笠、相輪の7石を積み上げている。





 基礎は低く、側面に各2個の格狭間を平底に彫り込む。輪郭は無いが、格狭間左右の側線と下部が直線で表現されているため、輪郭が有るように見える作りになっている。格狭間上部は、中央に茨、左右に各2個の曲線をつなぎ、側線を直線にして、下部の隅だけに曲線を付け、そこから直線で脚部につないでいる。通常の格狭間とは異なる変形した形状を示すが、国東では、早く南北朝時代からこのような退行傾向の格狭間が多くみられる。


 反花は、複弁8葉を浅く彫り出す。上部には低く花芯を造り出し、別石の請花を載せる。請花は単弁16葉。反花、請花の径は、基礎幅より小さく造る。


 塔身は、軸部と首部を別石にする。軸部上面の首部のための枘穴と軸部中央に大きく彫り込まれた納入孔、笠下面の首部をはめる枘穴ともに実相院国東塔と同様の構造である。


 軸部は、上面を水平に切り、側線は、肩から少し下に最大径を取って下部をすぼめる壺形にする。実相院国東塔程球形にならず、石丸国東塔ほど強くはないが、なお張りのある曲線である。


 首部は、別石、上下の枘穴に大入れのはめ込み式。側線は、わずかに膨らみを持たせている。下部に断面方形の納入孔がある。首部の納入孔から、軸部に彫られた納入孔が確認できる。


 笠は、少し低めに作り、上部に露盤を造り出す。軒幅は基礎幅と同じで、軒を程よい厚さで平行にして、両端で強く反らせている。造り出しの露盤は、側面に、連子様の線刻を5個並べている。5個共にその上部は盛り上がった剣菱文に似ている文様で、他の用例から、板碑を並べたものとみられる。


 相輪は、5輪を残し、その上部を欠いている。現在は、復元して上部を載せてあり、9輪の上は、紐帯、請花、火炎宝珠で有ることが確認できる。調査時には、その相輪上部は見ておらず、直接確認はしていない。反花、請花とも蓮弁を彫る。


 塔形は、間の反花、請花、塔身の径を基礎と笠幅より小さくしているので、引き締った感があり、軒幅が十分に伸びて安定感が有る。





1975.08.06調査





参考文献;『大分の石造美術』望月友義著 木耳社 S.50.09.30













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