












































南北朝時代中期~末期
鹿児島県霧島市隼人町神宮5丁目 沢家墓地
全て凝灰岩
鹿児島県霧島市隼人町神宮5丁目 沢家墓地
全て凝灰岩
鹿児島神宮前の旧道の交差点を北へ約300メートル程進んで、進行方向右側、民家の間の道を入って100メートル位、畑の一角に、長方形の土盛りがあり、その上に区画に合わせた様な形に立てられた石塔群がある。
高さ70センチ程の碑伝型板碑を長方形に並べ建てている。
「隼人町の石造文化財 沢家墓地調査図-調査者藤浪三千尋」で見ると、背面側の長辺の向かって左隅を№1として時計回りに2連碑1基を含む№14までの14基、東側短辺は№15から№23まで9基、前面側の長辺は№24から№35まで2連碑3基を含む12基、西側の短辺は№36から№45まで10期で、その合計は、連碑4基を含んで45基が示されている。現状では、折れたものや倒れているもの等が見られ、全部を確認出来る状況にはない。長方形枠内には、層塔残欠1基、五輪塔残欠2基、他に水輪1個が並べられている。枠外、南西隅には、角柱塔婆3基、北側に、薩摩塔残欠1基、その北側に近世墓碑が1列に数基並んでいる。
「隼人町の石造文化財 沢家墓地調査図-調査者藤浪三千尋」で見ると、背面側の長辺の向かって左隅を№1として時計回りに2連碑1基を含む№14までの14基、東側短辺は№15から№23まで9基、前面側の長辺は№24から№35まで2連碑3基を含む12基、西側の短辺は№36から№45まで10期で、その合計は、連碑4基を含んで45基が示されている。現状では、折れたものや倒れているもの等が見られ、全部を確認出来る状況にはない。長方形枠内には、層塔残欠1基、五輪塔残欠2基、他に水輪1個が並べられている。枠外、南西隅には、角柱塔婆3基、北側に、薩摩塔残欠1基、その北側に近世墓碑が1列に数基並んでいる。
その長方形枠を形成する碑伝型板碑群である。
塔高;88
幅;29.5
膝部高;30
身部高;36.5
額部高;13
2条切れ込み高;2.5
三角頂部高;6
膝部厚;7
幅;29.5
膝部高;30
身部高;36.5
額部高;13
2条切れ込み高;2.5
三角頂部高;6
膝部厚;7
寸法は、採寸する余裕がなかったので隼人町の石造文化財から引用した。
隼人町の石造文化財で45基とされる碑伝型板碑は、現在確認出来るものは単碑39基、2連碑4基の計43基で、45基からは2基分少なくなっている。
碑伝型板碑は、現存するもの全てが、多少の大きさの差があるものの、同形式であり、梵字の大きさ書体や彫り方も同じように見え、一括して短期間に造立されたものと認められる。
塔高88センチ、厚さ7センチ前後と小さめで薄く、碑面は、幅が基部から頭部の2条の切れ込みまでほぼ同寸法で、下部に膝、上部に額部を薄く造り出し、三角頭部も低く大人しい作りになっている。小さめに作られているのは、内部に置かれている層塔残欠や五輪塔残欠の塔高に合わせたものだろうが、鎌倉時代後期から南北朝時代前期ほどの力強さは感じられない。梵字の書体は、室町時代まで降る程の類型化は見られないので、南北朝時代中期から南北朝時代後期にかけてのものではないかと思われる。
塔高88センチ、厚さ7センチ前後と小さめで薄く、碑面は、幅が基部から頭部の2条の切れ込みまでほぼ同寸法で、下部に膝、上部に額部を薄く造り出し、三角頭部も低く大人しい作りになっている。小さめに作られているのは、内部に置かれている層塔残欠や五輪塔残欠の塔高に合わせたものだろうが、鎌倉時代後期から南北朝時代前期ほどの力強さは感じられない。梵字の書体は、室町時代まで降る程の類型化は見られないので、南北朝時代中期から南北朝時代後期にかけてのものではないかと思われる。
この石塔群は、最初に嘉禎三年銘自然石角柱塔婆、次いで、延應元年銘層塔残欠が造立され、鎌倉時代後期以降に五輪塔数基(現在は3基分の残欠)が造立されて在ったものを、南北朝中期~末期頃になって、碑伝型板碑群が造られ、長方形枠内にその古い石塔群のうち層塔残欠と五輪塔2基の計3基が整理され並べられたものと思われる。この時に、長方形枠外に建っている自然石角柱塔婆3基がどのような位置を占めていたのかは解らないが、区域内にそれらを置くスペースは無いので、あるいは、後世になって、他所から持ち込まれた可能性も考える必要があるかもしれない。2基分以外の五輪塔部材も後から枠外にあったものを持ち込まれたものと思われる。
石塔群がある長方形の低い塚は沢家墓地と呼称されている。しかし、石塔群が有る以外に継続的に墓地として営まれていた形跡は確認出来ない。塚の北側端に江戸時代後期の墓碑が4基並んでおり、この時期以降に墓地として利用されたもののようである。
碑伝型板碑は、連碑も含めて全て、額部に種子1字、身部に種子1字をそれぞれ薬研彫する。身部種子の両脇に「南無阿弥陀仏」を墨書したものと両脇に墨書の痕跡の認められるもの等11基が確認出来る。その他は墨書が確認出来ないが、書かれていた墨書が消えたものが有ると思われる。
種子は№1から順に次の通り。( )内は「隼人町の石造文化財 沢家墓地調査図-調査者藤浪三千尋」に示された種子である。
種子は№1から順に次の通り。( )内は「隼人町の石造文化財 沢家墓地調査図-調査者藤浪三千尋」に示された種子である。
背面側
(1) バン マ (バン マ)
(2) バン バク (バン バク)
(3) バン ウーン (バン ウーン)
(4) バン アーンク (バン アーンク)
(5) バン バーイ (バン バーイ)
(6) バン バク (バン バク)
(7) 欠失(所在不明) (バン サク)
(8) バン サ (バン サ)
(9) バン マ (バン マ) 2連碑
バン カ (バン カ)
(10)バン カ (バン カ)
(11)バン バーイ (バン バーイ)
(12)バン アーンク (バン アーンク)
(13)バン バーイ (バン バーイ)
(14)バン サク (バン サク)
(1) バン マ (バン マ)
(2) バン バク (バン バク)
(3) バン ウーン (バン ウーン)
(4) バン アーンク (バン アーンク)
(5) バン バーイ (バン バーイ)
(6) バン バク (バン バク)
(7) 欠失(所在不明) (バン サク)
(8) バン サ (バン サ)
(9) バン マ (バン マ) 2連碑
バン カ (バン カ)
(10)バン カ (バン カ)
(11)バン バーイ (バン バーイ)
(12)バン アーンク (バン アーンク)
(13)バン バーイ (バン バーイ)
(14)バン サク (バン サク)
東側
(15)バン サ (バン サ)
(16)バン バン (バン バン)
(17)バン アン (バン ア)
(18)欠失(所在不明) (バン バーイ)
(19)バン イ (バン イ)
(20)バン バーイ (バン 不明) (20)と(21)が入れ換わっている。
(21)バン 不明 (バン バーイ)
(22)バン ウーン (バン ウーン)
(23)バン バーイ (バン 不明)
(15)バン サ (バン サ)
(16)バン バン (バン バン)
(17)バン アン (バン ア)
(18)欠失(所在不明) (バン バーイ)
(19)バン イ (バン イ)
(20)バン バーイ (バン 不明) (20)と(21)が入れ換わっている。
(21)バン 不明 (バン バーイ)
(22)バン ウーン (バン ウーン)
(23)バン バーイ (バン 不明)
正面側
(24)バン 欠失 (バン カ)
(25)バン 半分欠失 (バン 半分欠失)
(26)欠失 ナ? (バン ウーン) 「ナ?」は「ナ」または「タ」
(27)バン バン? (バン バーイ)
(28)折損不明 (バン バク)
(29)バン バーイ (バン バーイ) 2連碑
バン アーンク (バン アーンク)
(30)バン 不明 (バン カー) 不明種子は「カー」とは読めない
(31)オン サ (オン サ) 2連碑
オン バク (オン バク) 「オン」は「ウン+エ」にも見える
(32)折損不明 (バン 不明)
(33)バン 半分欠失 (バン バーイ)
(34)バン バン (バン バン) 2連碑
バン カ (バン カ)
(35)折損不明 (バン 不明)
(24)バン 欠失 (バン カ)
(25)バン 半分欠失 (バン 半分欠失)
(26)欠失 ナ? (バン ウーン) 「ナ?」は「ナ」または「タ」
(27)バン バン? (バン バーイ)
(28)折損不明 (バン バク)
(29)バン バーイ (バン バーイ) 2連碑
バン アーンク (バン アーンク)
(30)バン 不明 (バン カー) 不明種子は「カー」とは読めない
(31)オン サ (オン サ) 2連碑
オン バク (オン バク) 「オン」は「ウン+エ」にも見える
(32)折損不明 (バン 不明)
(33)バン 半分欠失 (バン バーイ)
(34)バン バン (バン バン) 2連碑
バン カ (バン カ)
(35)折損不明 (バン 不明)
西側
(36)バン バン (バン バン)
(37)バン バーイ (バン バーイ)
(38)バン バーイ (バン バーイ)
(39)バン バク半分欠失(バン バク)
(40)バン サ (バン サ)
(41)バン バーイ (バン バーイ)
(42)折損不明 (バン 半分欠失不明)
(43)バン バク (バン 半分欠失不明)
(44)バン ウーン (バン ウーン)
(45)バン サ (バン サ)
以上、ナンバー順に写真を掲載する。(7)(18)の2基は所在不明のため、写真は無い。
(36)バン バン (バン バン)
(37)バン バーイ (バン バーイ)
(38)バン バーイ (バン バーイ)
(39)バン バク半分欠失(バン バク)
(40)バン サ (バン サ)
(41)バン バーイ (バン バーイ)
(42)折損不明 (バン 半分欠失不明)
(43)バン バク (バン 半分欠失不明)
(44)バン ウーン (バン ウーン)
(45)バン サ (バン サ)
以上、ナンバー順に写真を掲載する。(7)(18)の2基は所在不明のため、写真は無い。
現在判読できる43基の身部の種子を並べて見ても、その組み合わせや配列に意味の様なものは見出せない。何らかの儀軌に因って作られたものではないようである。額部には、金剛界大日如来種子「バン」と、同じく大日如来種子と思われる種子「オン」が配されている。身部の種子両脇に「南無阿弥陀仏」が墨書されたものが数基確認され、阿弥陀如来の種子「キリーク」は使用されていない。これらを併せて考えると、碑伝型板碑群が個人の信仰による造立という事ではなく、密教系の阿弥陀如来の極楽往生信仰の結縁集団の合力で造立供養された可能性があるのではないかと思える。小さな塚とその上の三基の供養塔を長方形枠で囲む碑伝型板碑群の配置は、中世絵巻物に表現されている塚上に建てられた卒塔婆の周りに四角に取り囲む板卒塔婆と重なって見える。墓地としてではなく、その集団の礼拜対象として建造された信仰施設かあるいは、大規模な供養が必要な事柄が起きたために作られたものではないだろうか。
参考文献;『隼人町の石造文化財』(霧島市教育委員会隼人出張所編集、発行 1995.03)
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