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1142.11.06  康治元年十一月六日


鹿児島県霧島市国分中央1丁目23-7 上小川公民館


凝灰岩製





九州内の組み合わせ式の石塔で、現在確認出来る、笠を有する最古のものは、大隅国分寺跡層塔残欠である。





 幸いこの塔には紀年銘が残っている。現在、2重目軸部の1面に2行





 「康治元年壬午/十一月六日甲午」





と彫られている。


この2行の他に3行ほどの銘文が有ったようだが、文字の痕跡は確認出来るが、傷みが激しく読み取れない。


 この紀年銘と時代様式によって、この塔は平安時代後期康治元年(1142)に造立されたものと考えられる。





現在6重になっているが、当初からのものと思われるのは、下から4層目の笠までで、それより上は失われている。その上は、後補で別物が重ねられている。また、基礎も、元からのものかどうか確認できない。造立当初は何層であったかわからないが、残っているものから、5から7重塔ではなかったかと考えられている。





塔高;約5メートル


基礎幅; 約150センチメートル      


基礎高;   39.0


初重軸部幅;115.0センチメートル


同   高; 72.0


初重笠軒幅;147.0


同   高; 33.0


第2重軸部幅;101.0


同    高; 47.0


第2重笠軒幅;130.0


同    高; 31.0





基礎は低く、安定しているが、幅が幾分小さめで、移築された時に加えられた後補ではないだろうか。


軸部は、4面共に無地。比高は低いが十分な幅があり、重量感がある。


笠は、軒を9.0センチと厚く作り、軒裏の中ほどに地垂木の型を造り、隅垂木は初重だけ1重、2重目笠からは2重に造り出す。飛檐(えん)垂木の型は造り出していないが、軒からの膨らみ曲線で、それを表していると思われる。屋根は低く、隅棟も短くして、瓦は省略しているが、隅棟には幅の広い瓦状を薄く彫り出している。1重目の笠軒裏の垂木型側面と隅垂木ニは朱彩痕がはっきりと残っている。隼人塚五重塔の笠軒裏にも、垂木を朱で書いた物が確認されており、或いは、垂木を朱彩していた可能性も考えられる。


棟の上部に薄く1段造り出し、軸部を受ける。笠の高さは、軒裏の造り出しがあるにもかかわらず、随分低く、軸部に比べて、幅が小さいため、軒の出は少ない。


4層までは初重と同じ造りで、幅を大きく減じて、逓減率を大きく取っているので、ずんぐりして見えるが、反面、安定感がある。


笠の構造は、軒口を垂直に厚くする等、和風の作りになっているが、塔形は石塔というよりも、軸部幅を大きく取って、笠の高さが低く、軒の出が浅い等、中国の塼(せん)塔の外形に良く似ている。


国内の石塔にしては、大型である。


塔の基本の構造は、軸部がかなり低めに作られ、また、軸部側面を無地のままにするが、笠を省略形ながら、建築の屋根式に造ること等から、中国の楼閣式層塔を意識して造られたものと思われる。





これ以前に造立された石造層塔の例を見てみると




       




石塔寺三重塔     塔高;約750センチ   (滋賀県 奈良時代前期)


龍福寺層塔      塔高;約180センチ   (奈良県 天平勝宝三年 751)


塔の森十三重塔    塔高;約240センチ   (奈良県 奈良時代後期)


鹿谷寺跡十三重塔   塔高;約525センチ   (大阪府 奈良時代後期)


岩屋層塔       塔高;約200センチ   (大阪府 奈良時代後期)


山上三重塔      塔高:133センチ    (群馬県 延暦20年  801)





等が知られる。


これらの塔を、現高で比べると、大隅国分寺跡層塔は、石塔寺三重塔、鹿谷寺跡十三重塔に次ぐもので、復元すれば、鹿谷寺塔よりも高くなるのではないかと思われる。


石塔寺三重塔は「伽藍建築の塔として母国の様式手法によって建てた石塔であろう。(石造美術入門)」と考えられている。


また、鹿谷寺跡十三重塔は、寺域内の岩盤を彫り込んで造られ、やはり山岳寺院の伽藍建築の石塔として造られていると考えられる。


これら、両塔と同じく、大隅国分寺跡層塔も、単独の供養塔としての造立より、その規模から見ると、伽藍建築の塔として建立されたと考えて良いように思われる。


平安時代までの国内の伽藍建築の塔の殆どは木造の塔で、石塔を選択しているのは、上記の2例の他は確認できないようである。


石塔寺三重塔は、半島様式と考えられ、鹿谷寺十三重塔は、中国の塼塔の密檐式層塔に外形が似ており、中国式による造塔ではないだろうか。中国式密檐式の塼塔は、檐(軒)の出が浅いのは同じでも、低くした軸部の側面に仏像を配置しており、この日本式に軒厚の笠上に、簡単な低い軸部を造り出して重ねるこの塔が、厳密な意味で、中国に言う密檐式塔と同じものといえるかどうかわからないが、伽藍配置の塔として石塔を選択しているところから、和風というより、かなり強く、中国の寺院造営方式の影響を受けていると考えて良いように思う。


大隅国分寺層塔も伽藍建築の塔として石塔が選択されたと考えれば、その属する寺院の性格は、国家管理の寺院である国分寺のものとするより、私寺と考えて良いのではないかと思われる。国分寺の塔として、国内他地域に見られない中国式塼塔の雰囲気を持つ石塔が造立されたとするのは、無理があるように思われる。


この大隅国分寺跡層塔は、九州様式の塔として、まだ確立されておらず、相輪も失っているが、


・九州様式の楼閣式層塔


・九州様式の笠


の初現であると思われる。





2010.04.25調査


調査協力者;A.I.








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