







平安時代後期
鹿児島県霧島市隼人町内山田287
凝灰岩製
鹿児島県霧島市隼人町内山田287
凝灰岩製
隼人塚の小丘上に3基の五重塔が並んで建てられている。
その内、中央塔がひときわ大きい。中央塔を挟む左右の塔は、中央塔より少し小さめで、ほぼ同じ大きさになっている。
3基を比較して見ると、大きさに違いがあるが、様式的には、ほぼ同様に見られ、殆ど同時期に3基が並べられて造立されたものと考えられる。
その内、中央塔がひときわ大きい。中央塔を挟む左右の塔は、中央塔より少し小さめで、ほぼ同じ大きさになっている。
3基を比較して見ると、大きさに違いがあるが、様式的には、ほぼ同様に見られ、殆ど同時期に3基が並べられて造立されたものと考えられる。
各塔の基礎、軸部、笠の寸法については、測量できる高さまでは実測したが、上部は、届かないために断念した。また、各塔の塔高寸法については、復元報告書より引用した。
・中央塔
塔高;6.6メートル
基礎 幅;222.0センチ
基礎 高; 44.0
初重軸部幅;130.0
同 高; 92.0
初重笠軒幅;199.0
同 高; 53.5
第2重軸部幅;118.0
同 高; 40.0
第2重笠軒幅;186.0
同 高; 43.0
第3重軸部幅;101.5
同 高; 37.0
基礎 幅;222.0センチ
基礎 高; 44.0
初重軸部幅;130.0
同 高; 92.0
初重笠軒幅;199.0
同 高; 53.5
第2重軸部幅;118.0
同 高; 40.0
第2重笠軒幅;186.0
同 高; 43.0
第3重軸部幅;101.5
同 高; 37.0
・東塔
塔高;5.6メートル
基礎 幅;193.0センチ
基礎 高; 40.0
初重軸部幅;109.5
同 高; 77.0
初重笠軒幅;172.0
同 高; 42.0
第2重軸部幅; 94.5
同 高; 38.0
第2重笠軒幅;159.0
同 高; 37.0
第3重軸部幅; 87.0
同 高; 32.0
基礎 幅;193.0センチ
基礎 高; 40.0
初重軸部幅;109.5
同 高; 77.0
初重笠軒幅;172.0
同 高; 42.0
第2重軸部幅; 94.5
同 高; 38.0
第2重笠軒幅;159.0
同 高; 37.0
第3重軸部幅; 87.0
同 高; 32.0
・西塔
塔高;5.55メートル
基礎 幅;190.0
基礎 高; 40.0
初重軸部幅;109.0
同 高; 77.0
第3重笠軒幅;154.0
同 高; 43.0
基礎 幅;190.0
基礎 高; 40.0
初重軸部幅;109.0
同 高; 77.0
第3重笠軒幅;154.0
同 高; 43.0
隼人塚層塔は、石造の層塔としては、大隅国分寺跡層塔以上の高さを有し、随分大きいものである。
近年発掘調査が行われ、発掘された部材から、3塔ともに5重塔だったことが確認され、それを基に平成10年に塔の復元が行われている。
近年発掘調査が行われ、発掘された部材から、3塔ともに5重塔だったことが確認され、それを基に平成10年に塔の復元が行われている。
軸部と笠はそれぞれ別石で造られ、最上部の相輪は欠失していた。
十分な幅の基礎上に、比高を低くした初重軸部を置く。
2重目以上は初重軸部よりさらに比高を低くしている。
初重軸部の4面に、縦長長方形の龕を彫り込み、龕一杯に二重光背の如来坐像を半肉彫りする。藤原時代様式の仏坐像である。
龕の左右には開いた扉が線刻され、その外側上部には縦連子窓を彫刻し、軸部四隅は丸面取りして、線刻で柱を表現している。2層目以上の軸部四方にもそれぞれ長方形の龕中に仏像が半肉彫りされている。一部に線刻が認められるものもあるが、扉形、連子窓は省略されているようである。
笠は、軒下部に井桁の彫刻は無いものの、それに見合う幅を水平に作って軸部に載せる。軒は幅に比べて薄めにして水平に伸ばし、両端で緩やかに反らせている。軒裏は厚い膨らみを持たせ、垂木型を彫出して2重垂木を表現し、2重の薄い隅木を造り出している。なお、発掘調査報告では、軒裏に垂木を朱彩で書き込んでいた笠が確認されており、井桁も描かれていたようである。
屋根は割合短く浅く作り、隅棟も短い。上面に1段作り出してそれより大分幅を狭くした軸部を受ける。笠の比高は低い。
2重目以上は、軸部、笠共に、ほぼ同じ加工をして積み重ね、最上部だけは、軸部を五重目笠下部の?穴に大入れに組んでいる。
軸部からの軒の出は、大隅国分寺跡塔よりかなり大きく取っており、軸部、笠共に逓減率が大きいので、塔姿は安定した重量感がある。
十分な幅の基礎上に、比高を低くした初重軸部を置く。
2重目以上は初重軸部よりさらに比高を低くしている。
初重軸部の4面に、縦長長方形の龕を彫り込み、龕一杯に二重光背の如来坐像を半肉彫りする。藤原時代様式の仏坐像である。
龕の左右には開いた扉が線刻され、その外側上部には縦連子窓を彫刻し、軸部四隅は丸面取りして、線刻で柱を表現している。2層目以上の軸部四方にもそれぞれ長方形の龕中に仏像が半肉彫りされている。一部に線刻が認められるものもあるが、扉形、連子窓は省略されているようである。
笠は、軒下部に井桁の彫刻は無いものの、それに見合う幅を水平に作って軸部に載せる。軒は幅に比べて薄めにして水平に伸ばし、両端で緩やかに反らせている。軒裏は厚い膨らみを持たせ、垂木型を彫出して2重垂木を表現し、2重の薄い隅木を造り出している。なお、発掘調査報告では、軒裏に垂木を朱彩で書き込んでいた笠が確認されており、井桁も描かれていたようである。
屋根は割合短く浅く作り、隅棟も短い。上面に1段作り出してそれより大分幅を狭くした軸部を受ける。笠の比高は低い。
2重目以上は、軸部、笠共に、ほぼ同じ加工をして積み重ね、最上部だけは、軸部を五重目笠下部の?穴に大入れに組んでいる。
軸部からの軒の出は、大隅国分寺跡塔よりかなり大きく取っており、軸部、笠共に逓減率が大きいので、塔姿は安定した重量感がある。
仏像をはじめ、笠軒を厚く垂直にする等、各部の彫刻は和風だが、塔形は大型で、石塔というより、建築物を模した内容になっている。塚上に、四天王立像を配しており、この塔も大隅国分寺跡層塔に倣って、伽藍配置の塔として石塔が選択され、造立されたのではないかと思われる。造立の年代は、康治元年(1142)から少し遅れて、しかもあまり隔たらない時期の平安時代後期と考えられる。
2010.04.24調査
参考文献;『九州の石塔下巻』(多田隈豊秋著 西日本文化協会 s.53.02.23)
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