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1548.03  天文十七年戊申三月


熊本県玉名郡南関町大字宮尾1003番地 武田氏宅


凝灰岩製





 宮の下バス停から関川沿いに旧道を行くと20メートルほど先にセメント橋が架かっている。この橋を渡って更に20メートル程進んだ所に、里道から一段高くして1区画を設けて、石塔が1基祀られている。


 この石塔は、もと、第一草村橋の橋脇に在ったものを、新道のバイパスが出来る時に、現在地にうつされたもので、南関町教育委員会編「史蹟標木案内」には、長山岡田山経塚として紹介されている。また、肥後国誌(大正5年刊)には、龍門寺岡田山跡として記載されているのがこれに当たると思われる。





 現在、塔婆は西面して建てられている。板状、縦長の長方形の塔身に、寄棟造の屋根を乗せている。


 塔身は、縦長、扁平で、正面と両側面を磨いて丁寧に仕上げ、背面は荒仕上げのまま残している。碑正面の中央部を両側より1.5センチ程ゆるく膨らませている。右側の上部が破損している以外は殆ど傷みは見られない。屋蓋との接合部はセメント接着で補修されている。


 屋蓋は、左側3分の1程で折損していたのを、セメントで補修されている。寄棟造の屋根の各面は起らせている。軒は、直線で、反りを持たせず、軒厚は薄くしている。稜線はあいまいで、仕上げも塔身に比べて荒く粗雑な造りになっている。石材は塔身と同じ凝灰岩で、大きさは良く合っている。セメント接着で隠れているが、以前は、塔身上部に造り出された枘と屋蓋裏に彫り込まれた枘穴が観察できた。





 塔高;173.5センチ


 塔身基部幅;68.5 塔身基部側面厚;22.0 塔身基部中央部厚;23.5


 塔身上部幅;63.0 塔身上部側面厚;17.0 塔身高;148.0


 屋蓋軒幅;約93.0 屋蓋側面軒幅;39.0  屋蓋高;25.5 





 塔身上部に径42.5、幅3.0センチと幅広の枠を付けた月輪を作り、中を平らに彫り込んでいる。龕の深さは外周で0.5センチ、中央部のいちばん深い所で2.0センチになっており、中に菩薩形坐像を半肉彫りする。像容は、髻を高く結い、耳にも髪を巻き、衲衣は通肩で、手印は法界定印を結んでいる。像の左脇から左膝にかけて、金箔が残っている。像の坐る蓮台は、小さな反花、敷茄子上に輪郭付の蓮弁に蓮肉を加えている。龕と蓮台の余白は、蓮台の高さまで、平らにせずに彫り残して、荒叩きで仕上げている。





 銘が、月輪の下に碑面一杯を使って彫られている。





 「下長田  領主  藤原重経/同 春宅/弘孫宗幸禅定門/


 大乗妙典一千部  東江/花屋妙芳信女/天文十七年戊申三月 願主西筑前入道」





 像容からは、法界定印を結ぶ胎蔵界の大日如来も考えられなくもないが、この場合は、菩薩形の釈迦とした方がいいと思われる。





 この塔形式は、熊本県中北部で室町時代後期に見られるもので、その多くは自然石塔婆に屋根を乗せたものが多く、この塔のように加工した塔身を用いた例は少ない。塔の形式は、石塔分類の範疇には入らないものになっている。屋根が寄棟造りで、笠塔婆の様に屋蓋上には宝珠などの上部施設はない。そのため、便宜上、屋蓋付加工石塔婆という名称で紹介する。





 何時の頃からか、年齢の数だけの大豆を炒って供えると、歯痛止めにご利益が有る「お釈迦さん」として信仰を集め、調査した当時は、参拝者があるという事であった。





1978.07.10調査





参考文献;『有明地方石文集』(多田隈豊秋編著 有明地歴研究会刊)


     『史蹟標木案内』(南関町教育委員会編)


     『肥後国誌』(大正5年)





この項未稿










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