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1250.05.16 建長二年大才庚戌五月十六日


熊本県玉名市大字山田


凝灰岩製





 山田には、大きな寺院があったと思われ、吉祥寺跡と言われている。二王堂から真直ぐな道路が山田神社まで続き、その道路の左右には、今も12房の名称が残っており、12房ともに、12の家系で各房が祀られ、石塔残欠がある。山田神社の鳥居前には、毘沙門堂も残っている。


 この建長二年銘宝塔は、山田神社の鳥居前から奥に200メートルほど離れた雑木林の中に在り、地元では虎御前の塔と伝承されている。





 塔身高;97.5センチ  軸部下部径;73.5 軸部中央径;73.5 軸部高;79.0


 首部上部径;51.0 首部下部径;65.0 首部高;18.5


 上部納入孔径;18.5 上部納入孔深さ;23.5


 


 基礎幅;130.5 基礎側面高;17.5 基礎上部造出し高;2.0 基礎高;19.5





 笠軒幅;89.0 笠軒中央厚;14.0 笠軒端厚;15.0 笠軒下厚;4.0


 笠上部幅;33.0 造出し露盤高;2.0  笠高;33.0 


 笠上部枘穴径;22.0 笠上部枘穴深さ;約13.0





 軸部は太い円筒形で、縦の側線は曲線部を作っていない。上部の肩だけを丸めて、首部につなぐ。首部は、軸部とは逆に、直線部を作らず、下部より上部径を15センチ小さくして、側線は曲線で作る。


 軸部正面に線刻で横長の高さ44.5の輪郭を作り、左右2区に分けている。この輪郭は、平面に広げると幅が75.5センチ程で、かなりの横長だが、円形の軸部で見ると、正方形に近い状態に見えるようにしている。


 釈迦如来と多宝如来の種子「バク」「アー」を陰刻蓮台上の月輪内一杯に薬研彫りする。多宝如来の種子は、通常の「ア」ではなく「a-」点を加えて、「アー」にしている。陰刻の蓮台、梵字共に華麗で力強く、彫り込みも鋭く、丁寧に仕上げている。輪郭内、種子、銘文、首部に彩色が残っており、特に首部の下部には、朱色で高欄を描いている。


 


 銘文12行が大きな刻字で軸部を回っている。





 「奉造立石塔/一基/夫傳聞造塔/善根者滅罪/生善宏基/往生極楽相/□也□藤原/太子聖霊為/離業得道造立之/仍法界平等/利益敬白/建長二年大才庚戌五月十六日」







この銘文から、亡くなった藤原太子(藤原氏の長女)の墓塔ないしは追善供養塔として建立された事が解る。藤原太子(おおいこ=藤原氏の長女のこと)については、解らない。







 1970年頃には、基礎と軸部だけだったが、後年、ここから少し離れた谷向こうの丘陵から、この軸部に見合う大きさの笠を持ってきて乗せている。相輪は新しく作ったもの。笠については、鎌倉時代中期の建長頃まで遡る程古いものとは思われないが、大きさ、鎌倉時代中期に近い形などよく見合ってているように見うけられる。この笠の存在は、鎌倉時代中期に近い大きな石塔がほかにもあったことを示していて興味深い。





 吉祥寺跡と伝承されるこの山田地区には鎌倉時代中期の在銘塔を始め、かなりの数の鎌倉時代からの古石塔が散在しており、この建長二年銘塔はその内の最古のものである。








1970.11.22調査


2011.09.11他写真





参考文献;『肥後古塔調査録』





この項未稿










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