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1599.08.11 慶長四年己亥八月十一日


大分県杵築市山香町大字野原字貫井 志手家墓地


凝灰岩製





 志手家墓地に他の石塔とともに1列に並べられている。


 高さ17.5センチの基壇(地覆石)の上に建てられている。





 塔高;129.0センチ





 基礎は、上1段を造り出し、その上に反花座を設けている。反花は、2段目を僅かに削って表現しているように見え、厚く殆ど抑揚がない平板な彫刻になっている。角ばった複弁を側面に3個並べ、隅には形を変えた単弁を配している。


 側面は四面とも同じ内容で、四角に輪郭を巻き、枠一杯の高さで横幅を狭くした格狭間を浅く彫り込んでいる。格狭間と言っても上部の花頭曲線の茨は頂点の1個だけで、そのまま肩を丸く下げて、下辺部は水平にして、脚部を作っていない。幅が狭いため一見すると、格狭間か花頭窓か解らないような形をしている。格狭間の中一杯に蓮華を薄肉彫する。蓮華の形も、中央から切断して蓮肉を側面から見せたような形の表現で、周りを囲む蓮葉は細長く立ち上がり、随分形式化が進んでいる。





 塔身の比高はかなり高い。四角の輪郭を取り、中を極浅く彫り込み、中央に月輪を彫り残している。その月輪内に細い筆書きの種子は





 「バーイ」「サ」「キリーク」「バク」





になっている。この四尊の配置は、顕教四仏の「薬師如来」「弥勒菩薩」「阿弥陀如来」「釈迦如来」の内の「弥勒菩薩」を「観音菩薩」に変えて配置したものと思われる。


 この内「バーイ」については、切り継ぎの字画が「bha」+「a-i」ではなく「bha」+「a-」に見える。しかし、この四尊の配置はほかにも見られ、その場合は「バーイ」が当てられているので、「バーイ」を意図して書かれたとして良いのではないかと思われる。筆書きの細字という事もあるが、種子の書体は随分後退してしまっている。





 笠は、軒を厚くして、軒口を内傾させている。軒の下は2段で2段目を薄く造る。軒上は6段、7段目は幅を少し小さく、段より背を高目にして露盤を作りだしている。軒上四隅には、この塔にしては大ぶりな隅飾を造り出す。隅飾りは2弧で隅角と2弧は輪郭を取り、茨の所で内部に蕨手を線刻で加えている。基部は、軒から少し内に入れ、直線で内傾した軒口の傾斜よりもさらに外に開いている。





 相輪は、露盤、請花部四角、隅飾2弧輪郭付、九輪、請花、火炎付き宝珠までを1石で作る。


 笠最上段も路盤を意識した厚めの造り出しになっており、2重露盤の構造になっている。露盤は四面共、側面に後期式格狭間或いは、雲形にも見える彫刻があり、中に連子を入れている。


 隅飾は、露盤より少し内に入れて、僅かに外傾させ、中央部は開けている。側面は、幅を狭くしているものの笠の隅飾りと同形の2弧で、隅角と2弧は輪郭を取り、茨の所で内部に蕨手を線刻で加えている。


 九輪は上下を細くして、中央部を膨らませている。


 上部の請花は、断面が大丸面取に近い角ばった作りになっている。正面に1葉、角部に1葉で間弁を加えている。


 火炎宝珠は、三方火炎が宝珠に張り付いて包み込むような形に造り、火炎の細部彫刻は省略されている。





 塔身の「キリーク」の面に2行の銘がある。





「捐舘□□□□禅定門/旹慶長四年己亥八月十一日」





この銘で、この塔が、慶長四年己亥八月十一日に亡くなった□□□□禅定門のために墓塔として建てられた事が解る。全体的な塔の時代様式を見ると、江戸時代にまで降るとは考え難く,没後間もなくの造立ではないかと思われる。





 この塔は、塔身に四仏種子、つまり塔の本尊を配しているので仏塔には違いないが、「捐舘」の2字を使って、造立目的が仏塔よりも故人(個人)の墓で有る事を強調しており、近世的な墓碑に近い内容の造立になっている事は注意を要する。





2011.09.30写真





参考文献;『山香町の文化財平成17年』








 






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