















1534.08.彼岸日 □文三年甲午八月彼岸日
鹿児島県薩摩川内市中郷町宅満島 宅満寺跡
凝灰岩製
鹿児島県薩摩川内市中郷町宅満島 宅満寺跡
凝灰岩製
塔高;111.5センチ
地覆幅;54.5 地覆高;11.5
基礎幅;44.0 基礎高;24.0
軸部径;36.0 軸部下部径;25.5 軸部高;24.0 首部下部径27.0 首部高;2.5
塔身高;26.5
笠軒幅;39.0 笠軒中央厚;4.0 笠軒端厚;5.0 笠上部幅;17.5 笠軒下部厚;5.5笠高;25.0
露盤幅;約16.0 露盤高;4.0
請花幅;15.0 請花下部幅;11.0 請花高;7.5
6輪下部径;12.5 6輪上部径;10.5
上部請花幅;13.5 上部請花下部幅;14.5 上部請花高;9.0
上部円形座径;10.5 上部円形座高;2.0
宝珠は欠失。
地覆幅;54.5 地覆高;11.5
基礎幅;44.0 基礎高;24.0
軸部径;36.0 軸部下部径;25.5 軸部高;24.0 首部下部径27.0 首部高;2.5
塔身高;26.5
笠軒幅;39.0 笠軒中央厚;4.0 笠軒端厚;5.0 笠上部幅;17.5 笠軒下部厚;5.5笠高;25.0
露盤幅;約16.0 露盤高;4.0
請花幅;15.0 請花下部幅;11.0 請花高;7.5
6輪下部径;12.5 6輪上部径;10.5
上部請花幅;13.5 上部請花下部幅;14.5 上部請花高;9.0
上部円形座径;10.5 上部円形座高;2.0
宝珠は欠失。
基礎は、上面に幅2.0センチの輪郭を付け、内側を1.0センチほど彫り込んで、薄く反花座を彫り残し、中央に円形の蓮肉部を作って、塔身下部を受ける。
基礎正面には中央に幅12.5センチ、高さ10.0センチの枠を造り、中に連子窓風の装飾を線刻する。また、両端近くに、幅2.0センチ、高さ17.0センチほどの細長い長方形を浅く彫り込んでいる。彫刻は、正面と両側面にあり、背面は無地のままにする。
基礎は上部中央から背面にかけて、かなり傷んでいる。
基礎正面には中央に幅12.5センチ、高さ10.0センチの枠を造り、中に連子窓風の装飾を線刻する。また、両端近くに、幅2.0センチ、高さ17.0センチほどの細長い長方形を浅く彫り込んでいる。彫刻は、正面と両側面にあり、背面は無地のままにする。
基礎は上部中央から背面にかけて、かなり傷んでいる。
基礎正面の長方形の彫り込み装飾に並んで各1行の紀年銘と連子窓風装飾の上部に3行、計5行の短い銘がある。
「□文三年甲午」
「預修」
「厳成」
「法印」
「八月彼岸日」
「□文三年甲午」
「預修」
「厳成」
「法印」
「八月彼岸日」
軸部は上部が張って、下部を小さくすぼめる背の低い壷型で、上に低い首部を造り出す。
軸部正面に、径12.5センチの円形の龕を深さ2.5センチほど丸底に深く彫り込み、中に仏坐像を半肉彫する。円相の下には輪郭を彫り込んだ蓮台を付ける。他3方には線刻蓮台上円相内に、梵字「キリーク」「バク」「ウーン」を刷毛書き薬研彫りする。仏坐像は、手印が欠けていて、尊名は解らない。蓮台は、蓮弁の数が少なく安定を欠き、その形式的な表現は梵字の書体とともに、室町時代後期の特色をよく示している。
笠軒は、下部は平行にして、端近くだけで直線的に上に反らせ、上辺は平行部を作らず真反りに近い曲線にしているので、上下の線が合っていない。
軒下部に幅1.0センチほどの垂木型を付けその下に二重垂木を彫り出す。二重目の垂木は軒下の曲線に合わせて曲面に薄く彫り出しているので、鼻の断面を造らず、装飾化してしまっている。
屋根は上辺と降棟部に輪郭を造り、それに囲まれた屋根面には瓦棒を線刻で表現している。軒の上辺の上に1段の切れ込みを厚さ1.5センチで造る。瓦當を表現しているもののようである。
笠の装飾も基礎と同様、背面に当たる部分は装飾を省略している。
笠上面に円形の枘穴を彫り、相輪の丸枘を入れる。
相輪下部に造られた露盤は大破している。残った部分から、側面には2個の細長い長方形の彫り込みが彫られているのが確認できる。通常、側面に輪郭を巻いて、2区に分けた形式のものの、輪郭を省略した様に見える。
露盤の上に覆鉢は作らず、断面が方形に近い請花を直接のせる。各かどに3重にした子持ち蓮弁を大きく彫刻し、正面の隙間にはこれも3重にした子持ち蓮弁風の間弁を彫り出す。上はエンタシス風に7輪を線刻で区画し、上部に4重の子持ち蓮弁風の請花と3重の間弁を彫る。請花の上には円形の座を造り、その上は欠失している。
露盤の上に覆鉢は作らず、断面が方形に近い請花を直接のせる。各かどに3重にした子持ち蓮弁を大きく彫刻し、正面の隙間にはこれも3重にした子持ち蓮弁風の間弁を彫り出す。上はエンタシス風に7輪を線刻で区画し、上部に4重の子持ち蓮弁風の請花と3重の間弁を彫る。請花の上には円形の座を造り、その上は欠失している。
全体的に表現は形式化している。紀年銘の1字が欠けているが、その干支から、「天文三年」と考えられ、塔の様式も室町時代後期によく合っている。
1976.12.30調査
参考文献;『川内市史石塔編』(川内郷土史編さん委員会 昭和49年)
この項未稿
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