1537 天文六年
宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町大字三ヶ所字立壁 忠霊塔公園
凝灰岩製
"MS Pゴシック";mso-font-kerning:0pt" lang="EN-US">
mso-font-kerning:0pt">塔高一八八・〇㎝(以下㎝略)
宝珠を除いて、各部の断面は四角。ただし、各面ともに寸法が不揃いのため、作図の記入寸法は西面のものである。
基礎は低く、側面素面とし、上面に高さ二・〇の低い段を設け、塔身を大入れの枘穴で受けている。枘穴の深さは三・五。
塔身は、上下の大入れ枘の分ともに高さ九九・五、幅は測定の位置で多少出入りがあり、基礎との接合部で三七・〇、高さ四〇・〇から上の方は大体三八・五になっている。上部は笠の枘穴に大入れになっていて、かみ込み分は四・五。
笠は、軒隅下部の高さが不揃いで、傾いているように見える。軒先は少しかぶり、軒裏に幅が不揃いの平行垂木を各辺四本と、隅垂木を彫り出している。軒は、上、下辺とも中央部を高くした起り曲線にし、軒厚も中央部が端より大きくなっている。屋根は、わずかに照らせ上辺を軒幅にくらべてかなり小さくしぼり、直接、宝珠を受けている。
宝珠は、断面が不整円で、請花部をつくらず、下端を切って角枘を作り出し、これも方形に切られた笠上辺の枘穴に入れている。笠と接合する下端の径は、笠上辺の一六・五より大きく二〇・五前後で、また、頂部は大きくとがらしている。
これら各部は四石から成っているが、もとからの一具のものと見ていいように思われる。
全体に仕上げが荒く、各稜線のとり方も甘い。宝珠の曲線などにも力が感じられない。
塔身の各面に、次のように銘が彫られている。(図-二)
丁
干時天文六年
酉
浄□源清禅定門壽位
妙典千部為逆修 施主
宗庵妙西禅定尼壽位
十方恒沙佛
月秀清公禅定門霊位
六通□□□・・・
妙 □ 禅 定□ 霊位
今乗三尊教
欠字はあるが、造立の趣旨は大体読み取れる。夫婦と思われる源清、妙西の二人が施主となって、施主自身の逆修のために法華経千部の供養を行うと同時に、月秀清公禅定門と妙□禅定□の二霊の冥福を祈って追善供養を併せて行い、本塔一基で逆修、追善を兼ねて、天文六(一五三七)年に造立供養したものと思われる。月日の刻字は認められない。東面の妙□禅定□は、欠字のため禅定門か尼か判読できなかったが、尼ではなかったかと思う。そうなれば二霊は夫婦、そして、施主にとって近しい肉親の両親ではないか、と考えるがどうだろうか。
各面の上部円相中に、卍(西面)、|(北)、日(東)、キャ(南)をそれぞれ配しているが、組み合わせの意図はわからない。

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