精神科治療学1月号の中安信夫医師の記事を拝読した。

この記事は、私がこの問題に取り組んだ最初から抱いていた疑問、怒りの本質を多くの部分で代弁してくれている。

また、誤解を招きそうだが、正直この記事で随分すっきりした気分になったし、改めてベテランの精神科医が私と同じ見解を持っていてくれることで自信を頂いた。

この問題に関心を持つ方は、是非一読をお奨めする。
一部抜粋して紹介するが、これは私の感想であることを念頭に置いて読み進められたい。
(公に発表された文なので引用に問題はないと思うが)

記事の冒頭で次のように記述されている。

・・・そして、筆者思うに、この失敗はたんに失敗したというに留まらず、回復に何十年もかかるというほどの手酷い後遺症を残してしまった。・・・実際のところDSM世代が30年余を重ね、精神科医の過半数を占めるようになった現在、DSMは精神科医の多くを「感じず、考えない人」に堕さしめたからである。
・・・心ある一般の人は現今の精神科医をこのように見ていること、そして見放していることを我々は知らなければならない。


・・・中略・・・
(是非、読んで頂きたい。)

おわりに
の部分を全文引用する。

「感じない」原因として表出の無視を、「考えない」原因として症状学の欠如。comorbidity、成因論の排除を挙げたが、これらはみなDSMの根幹にかかわることである。精神科診断学上これほどの「粗悪品」になにゆえに多くの精神科医が飛びつくか、筆者には怒りを通り越して摩訶不思議としか思えないが、そういう人たちに改めて以下のように問うてみたい。「どうして自分の目で見、自分の耳で聞き(すなわち、自分で感じ)そして自分の頭で考えることをしないのか?」
最後に一言。DSMが精神科医をして「感じず、考えない人」に堕さしめたとは、要は精神科医からそのprofessionalityを奪ったということである。精神科受診者の激増にみられる、現今の一見の隆盛とは裏腹に、かつてとは別の意味での反精神医学的風潮が世間一般の中に広がっている仄聞するが(「感じず、考えない人」とは世間一般においても「忌むべき存在」であるが、精神医学を体現しているはずの精神科医がそういう存在に成り果てているのであれば、精神医学そのものの信頼性まで失われるのは当然であろう)、今一度その信頼を取り戻すには、我々自身が「感じ、考える人」という精神科医としてのprofessionalityを改めて身に付けるしかなく、そのためにはDSMと手を切ることがまずなすべき第一歩であると筆者には思われる。


この記事は、DSMの批判記事であるが、それに毒された強烈な精神医学への批判でもある。

・恐ろしく単純なチェックシートでの診断。
・うつ病が、その単純なチェックシートのせいで増えたこと。
・原因を問わないのは医学ではない。

これは、中安医師の論文を読む前から、我々が叫んできたことだ。
(中安医師は、ずっと主張されていたようだが。)

敢えてこの論文にケチをつけるならば、この論文は、その「感じず、考えない」精神科医による「感じず、考えない」投薬について触れられていない。

中安医師が、その結果としての被害の大きさにどれほど気が付かれているかは不明である。

これは、精神科医の犯す最初の間違いであり、その後に続く更なる間違いや犯罪に言及していない。
(当然気が付かれているはず。)
最初の間違い(DSM)に気が付き、精神科医が謝罪したところでことは済まされないところまで事態は悪化している。

しかしながら、ベテランの精神科医が、精神科医を「忌むべき存在」と書き捨てた’稀’な論文であることは間違いない。

この論文への反論を是非読んでみたい。