病は気から・・・


これを云って、散々非難された経験がある。

精神薬を信じる立場からは、何故かこの言葉は禁句なのだ。

精神疾患が、こころの風邪とキャンペーンされ始めたころだ。


この「気」とは、気分の事ではない。

中国哲学、思想、それに基づく東洋医学の気である。


東洋医学の効用については、コメントできる知識もなにもないので、それは控えます。


だが、中国哲学の「気」については、少し詳しい。「気」について考察してみたい。

(もともとは、占いから入ったのだが。)


気とは、単に1人の人間という個体の中だけの話ではない。

世界の万物には気があり、その大きなバランスの中に人間の気も存在しているという理論である。


病は気からの本当の意味は、

人間の気のバランスが崩れ、身心の不調を起こすということだ。

自然治癒力とは、その気のバランスを取り戻す力が人間には備わっているということである。

いや、そもそものバランスを崩した原因を排除すれば、人間は自然に最適な気のバランスを取り戻す事ができるようになっていると言った方が良い。


精神医学では、薬で脳内バランスを整えると主張する。


精神科治療に、その主張を裏付ける何かしらの理論が存在しているのだろうか。

そこには、セロトニン仮説のような極単純な理論しか存在しない。

SSRIに限らず、それは、全ての向精神薬に当てはまる。

ただ、脳内物質を増やす、減らす、抑えるといった単純な作用である。

ほんとうにただそれだけでのことでしかない。

この壮大かつ緻密、微妙なバランスで出来あがっている人間の気のバランスに介入することはあまりにも無謀だ。


セロトニンやアドレナリン、ドーパミンなどの発見も、気を科学的に解明した第一歩に過ぎない。


こんな低レベルの理論・道具(薬)で、心を治療するなど、笑止千万。

この壮大な気のバランスを生みだした神への冒涜である。


あおぞらクリニックの菊池医師が、薬漬けになった患者は、交感神経と副交感神経の波が固定化されると云っている。これもまた、気の流れである。

気には波(周期)がある。

夜には寝むたくなり、昼には活動的になること。

太陽を自転しながら回る地球の昼と夜の周期に合わせて最適化されているのだ。

人間の体もまた、周囲の気とバランスを取るように出来ている。


自律神経の波が整えば、人はスッキリ眠れる。

不眠治療は、せめて自律神経の測定をするべきだ。


気は、決して、非科学的なものではない。


森羅万象から、法則(波)を見出し、それを体系化した壮大な学問であり、哲学であり、真理である。

逆に、全ての科学は、気のバランス、作用、関連性を解き明かそうとするものに他ならない。


精神医学が、自らの臨床経験をもとに、その正当性を主張するのであれば、そこに法則を見つけ、それを追求し、検証する地道な作業が必要だ。そんな姿勢を少しでも持っていたなら、もう少しマシな、少しは理にかなった治療が行われていたはずだ。


精神医学は、医療としての臨床に耐えられるほど成熟していないし、その道具(向精神薬)は危険で、かえって気を乱す。

それは、アクセル(一時的に気分を上げる)とブレーキ(一時的に抑える)しかついてない車を運転するのと変わらない。精神科にかかるということは、そういうことなのだ。


気は、全ての人間の営みとそれにより引き起こされる様々な事象にもにも関わっている。


沢山の臨床経験を持つ医師なら、東洋医さんのように、出来るだけ投薬しない方が結果が良いとの結論に至るのは至極理にかなっている。

そうした結論に至るのは、東洋医さんが、東洋医学の知識を持っているからだろうか?

いや、彼に、数多い臨床経験とそれを追求し、法則を探し、検証する姿勢があるからだと思う。

そしてなにより、「医は仁術」という医者として求められる素養が備わっているのだと思う。


医は仁ならざるの術、努めて仁をなさんと欲す. 幕末の中津藩の藩医、大江雲沢の言葉で大江家の家訓。「医は常に仁というわけではなく医者次第で金儲けの手段になり、患者を惑わしてしまう。従っていつも自分を戒めて仁になるようにしなければならない」


大好きな、村上もとかの漫画で、ドラマ化された「仁-jin-」という作品がある。

作者が、主人公の医師に、『仁』と名付けたのは、この逸話にちなんだのであろう。

その主人公の気質も、エピソードも、その名にふさわしい活躍をする。


仁とは、木の気。

天皇家の名に、’仁’の字がつくのは、仁徳天皇時代からずっと続いている。

その意味は、「守り」。天皇家は生まれながらにして、「国を守る」という宿命を背負わされている。

仁徳天皇の父は、応神天皇。各地の鎮守として日本中に奉られる八幡神社の神である。

医者においては、人々の健康を守り、家庭においては家庭を守るのがその役目である。


http://ameblo.jp/sting-n/entry-10170345692.html


それぞれの気が上手く循環して初めて、社会は正常に機能する。

仁(木の気)を育むのは、智(水の気)。

智とは、「森羅万象から、法則(波)を見出し、それを体系化する」ことに他ならない。


人間の気は、取り巻く全ての気に影響される。

時にそれは、食べ物であったり、人間関係での気のやり取りであったり、環境の気から受けるものであったりする。所属する社会の気が乱れているなら、その影響を受ける。

仁の本分を忘れた医師が溢れた状況は、社会全体の気の循環バランス破壊され、末期症状を呈していることの証明である。


良く心の病の原因として、ストレスがあげられる。

ストレスと云うものは、他から与えられる気の影響で、人間の気が乱された結果と考えることもできる。

それは、家庭内での気の乱れであったり、会社や学校での乱れであったり、社会そのものの気の乱れであったりする。


それらの気の乱れを放置したままで、ストレスを軽減するのは不可能である。


いつも指摘されるように、精神医療の問題だけを正そうとしても、無駄である。

仰る通りである。

この問題は、社会全体の気のバランスの乱れの一つの事象に過ぎない。

経済の問題も、教育の問題も、政治の問題も全て同じである。


一個人が、そこに挑んだところで、何も変えられないというのは間違いでは無いが、その乱れを但すスピードを加速させるのは、人間の仕事である。


人間が、本来の気のバランスに戻ろうとする力を与えられているように、社会にもその力は備わっている。

自然摂理は、何においても気の均等を目指すのだ。

もうすぐ、経済も教育も政治も、全て過去の清算、再生に向けて動き始めている。


もう少しで、この国は、混乱の極みに陥る。いよいよ底の底である。

皮肉なことに、その痛みによって、人々は自己の陥った解離から目覚め始めるのだろう。

これは、予想でもなんでもない。ただの必然である。


精神医療被害連絡会は、その清算、再生の動きに合わせ、その力を受け取る為に設立したものだ。

この会が、上手く機能し、発展するかどうかは、私が決める事ではない。

その存在が、その大いなる自然摂理にかなっていれば、自然に発展していくだろう。


大いなる流れは変えられない。

しかし、人間もまたこの宇宙の構成要素なのだ。

その行動は、その流れに左右される。


無理やり流れを変えようとするほど、自分は愚かだとは思っていない。

私は、社会の底流に流れるその気の流れを感じているつもりなのだ。