今日は、原爆の日です。

今から丁度、66年前。私の父は、広島市内に入る橋のたもとにいた。

岩国から、救援に駆け付けた父の行く手を阻んだのは、対岸の炎だった。


当時の父は、岩国の電話局の職員だった。広島の電話局の様子を見て来るようにいわれ、その日のうちに自転車で駆け付けたのだ。


結局、市内入れたのは、黒い雨が広島の街を冷やした翌日になった。


父は、瓦礫ともはや人間であったかも定かでない焼死体の上を自転車を担いで進むことになった。

もう事切れたと思われた死体が、またぐ父の足を掴み、水を求めた。


元は、広島有数の大きな建物であったはずの、電話局の残されたわずかな壁の陰に隠れ、16歳の父は、広島の地獄を目撃した。


人々の半袖の露出した部分は、焼けただれ皮膚が剝け、それが爪のところにぶら下がり、幽霊のようにぶら下げながら、人々は当ても無くそぞろ歩いた。


川は、業火を逃れた人々で溢れ、それが塊となって、潮の満ち引きとともに、川を上り、海にかえっていく。


夜には、市内のあちこちに火があがった。

それは、原爆の火ではない。死体の山を焼く炎だ。

それは、赤ではなく、青い炎。


人骨に含まれるリンが燃え、ぼうっと人魂のように宙に浮く。

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昨春、厚生労働省に、べゲタミンの被害を報告しに行く際、私の前に霊能占い師を名乗る女性が、突然現れた。そして、頼んでもいないのに、亡くなった妻と話を始めた。


「でも、動物は好きよ。」

唐突にそんなことを云った。それは妻の言いそうな言葉だった。


その霊能占い師は、わざわざ現れたのには、理由があった。彼女のクライアントのおばあ様が、私の背中を押しているのだという。霞が関に向かう私の背中を。

おばあ様と私との間に、一体何の縁があるのだろう。


そのおばあ様は、実在していた。名前も判っている。住所も、私のルーツのある山口県のとある地域である。


このおばあ様は、首をつって、亡くなっている。


もちろん、このオカルトなエピソードは、確認のしようがない。だが、このエピソードは、結局、私をこの活動に本格的に取り組む契機となった。


その霊能占い師は、私が自殺に関わることで、霞が関に行くことなど全く知らない。


もしかしたら、押された先は、地獄かもしれない。だが心配はしてしない、それはもはや私の決める事ではないと思っているのだ。死者の魂が、私の未来に関与することも恐れてはいない。私にとって、死者の魂は、もはや、神と同等のものだからだ。


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皆さんは、魂の存在を信じますか?

死者の魂。それは、唯物論(うつは脳の病気だという)に基づく精神医学とは正反対の存在だ。

精神と名乗りながら、扱っているのは精神ではない。心を扱わず、脳を扱う。

人の尊厳、善を尊ぶ心、我々の心そのもの。それらは、魂という概念と不可分なものに関わらず。


何百年、何千年ののち、人類は、魂のメカニズムを解明することが出来るかもしれない。だが、現在の科学技術は、その入り口にさえ辿りつけていない。

いや、精神医学の扱う脳のメカニズムでさえ、何も判っていない。

そのほんの少しだけ判った部分(セロトニンなどの働き)を捉え、こころが判ったように振舞っている。

目に見えないもの、魂、人智を超越した存在。

それを畏れ、敬う事でしか、人間は謙虚になれない。


人々が、ほんの少しずつ魂の存在を意識すれば、この世はもっと生きやすくなると私は思う。



広島の幾万の魂のご冥福を祈ります。