以前、どっぷり精神科クリニックに浸かった女性と、ネット上で議論になった時、投げつけられた言葉は、
「病は気のせいとか言わないでよね。」
でした。
彼女は、精神科医と彼の診断を信じ、さらには精神科医に恋愛感情まで抱いていたようです。
私は、議論する事を諦めました。
彼女は、今頃どうなっているのだろう。
「うつ病は、脳の病気。」
精神科医自身から、これを否定する論文が現れました。
精神神経学会誌に掲載された井原医師の『うつ病臨床における「えせ契約」について』という論文です。
CCHRの記事に一部が乗っているので、興味のある方は参照ください。
http://blogs.yahoo.co.jp/kebichan55/51925210.html
これを読んだ時、涙が出そうになりました。
そこに書かれていることは、長年罵倒された私や仲間たちの意見そのものです。
うつ病を脳の病気とするのは暴論。
憂鬱や理由のある悲しみを脳の病気としたのは間違い。
医師は、自身の治療への自身のなさを、この仮説に依存することで補った。
これは、国民に対する背信行為である。
利益を得たのは、精神科医だけである。
とまで書かれています。
では、被害者はこれを読んでどう思うでしょう。
ますます、許せなく感じるのではないでしょうか?
こうした医学の失敗を追求する事は、医学の進歩を妨げるといわれます。
(私の裁判でもそう言われています。)
医学の進歩?
(特に日本の)精神医療に医学の進歩を語る資格などありません。
EBMという言葉があります。
Evidence-based medicineの略です。
直訳約すれば、科学的な根拠に基づく医療行為(投薬)となります。
言い換えれば、
診断とそれに応じた治療計画をたて、
厳密な薬の選択があり、
患者に説明し、
同意の上、
治療を実施し、
効果を測定し、
薬の副作用があれば、それを報告することです。
一つ一つの治療が、実績となり、知識として蓄積するには、この情報が広く共有されねばなりません。
(アメリカでは、保険の審査でこれらがチェックされます。)
精神医療は、科学的な根拠に基づく医療行為を探す方が難しい。
上のEBMの手順をどれ一つとして守ってやしない。
欧米では、こうした手順を踏んでいるから、医師の責任はあまり問われていないのです。
欧米で、薬の副作用の問題が表面化するのは、少なからずこうした科学的アプローチがされているからです。
診断と薬の選択は、セットでなければなりません。
これが基本の基本です。
厚生労働省がやっているはずの30万件のレセプトチェックをこの視点で是非やってもらいたい。
何もデータとして残さないこの非科学的な体質が、何万もの死者を出しても、その被害を表面化させなかった最大の理由です。
欧米では、
バルビツレートの代わりに、ベンゾジアゼピンが取って代わり、ベンゾジアゼピンの代わりにSSRIが取って代わった。単剤治療であるから当り前である。
単剤だから、副作用も比較的判明した。
それに対して、この日本はどうだ。
妻の命を奪ったバルビツレート、
欧米で使われなくなったベンゾジアゼピン、
そしてSSRI、すべて一緒に処方。
副作用報告も無い。
これでどうやって進歩するというのだ。
薬の処方もデタラメ、診断もデタラメ。なにもない。
「うつ病は脳の病気」でないなら、
「統合失調症」は?
「発達障害」は?
「ADHD」は?
冒頭の論文の中身を、これらの病名に変えて読んでみると良い。
全く、同じ論文が出来あがる。
しかし、こうやって改めてこの問題を検討し直すと、
この問題が、如何に馬鹿げた問題であることに気がつく。
ちょっと考えれば簡単にわかる。
いや、あまりにも荒唐無稽だからかえってウソが信じられなかったのか、
よっぽと、肩書に弱いのかどちらかだろう。
原発問題に関して、かつての原子力の安全キャンペーンを推進した設計者達が、謝罪文を表明しました。
うつ病キャンペーン、発達障害キャンペーンの推進役も、さっさと謝罪した方が良い。
それらを冠した団体、ホームページも早く畳んだ方が良い。
デタラメに加担した証拠が残ります。
S先生じゃないが、口にすることも罪です。