昼から、雑誌、ジャーナリストの取材を受けました。

2時間半、いつもこのブログで主張していることを伝えました。


十数年間、医療問題を追いかけているそのジャーナリストには、ほとんど説明は必要ありませんでした。

理詰めで考える私の手法を自分のやり方のように感じてくれていたそうです。

いくつかの点が線になり、そして繋がりました。


それは、MRICに書いた手記に対する唯一の反応でした。

唯一の反応でしたが、一番適切なところに繋がったようです。


大きく育てられそうな気がします。


一年前、夜中にFAXが届きました。

http://ameblo.jp/sting-n/entry-10436324554.html


新聞記者から、東京都医務監察院の中毒死のデータが記載された論文が届いたのです。

彼女が、その中の数字となって帰って来たのです。

そして、私の手記の中のその論文が目にとまり、今日の取材となったのです。


そう、今日は、彼女の命日なのです。


ただの偶然でしょうか?

いや、背中を押されたのだと私は理解します。


本当に上手くいくかも知れません。