喧嘩をしても、相手には逃げ場を容易しておけ・・・
誰に言われたのか、何かの本に書いてあったのか判らないが、これは私の座右の銘になっている。
大量生産社会は、日本人に画一的な生き方を求めてきた。
豊かになる過程として、それは、生産効率を高めることに多大に貢献した。
成長の終焉と共にそのメリットは、失われ,そのシステムは15年に渡り温存された。
状況はとっくに変わったにも関わらず、
教育も、医療も、会社も、行政もそのシステム自体が、前世紀のままである。
外資系金融機関に勤める友人が、リストラ間近だという。
彼曰く、「転職しようにもポストそのものが無い。」
知りあいの知人のパイロットも、パイロット以外の仕事においてはただの素人である。
知り合いの工場で、手伝いをさせてもらっているという。
方や、20代の男女の平均収入が、女性の方か上回ったそうだ。
女性は、ポストで仕事をしない。そして、実務的である。
会社に忠誠をつくし、よりよいポストを追い求める生き方をしてきた男性にとって、受難の時代が訪れたということだ。
前世紀のシステムでは、画一的なレールを一旦外れてしまうと、二度とそのレールには戻れない。
(正確には、再チャレンジを妨げるなんのルールも無いが、システムも人々の意識も昔のままなのである。)
だから、皆、そのレールを外れることを非常に恐れる。
これからの社会で、そのレール上に残れるのはもはやほんの一握りの超エリートでしかないのだ。
50代男性の自殺は、10万人当たり35人。
(英国の何と9倍)
この人達は、人生後半で、突然レールを外れた人達である。
やり直しがきかないのである。
いや、正しくは、やり直しがきかないと思い込んでいるのである。
眠れないお父さんに必要なのは、逃げ場である。
家族ごと、レールに乗っかっているのだから、お父さんは大変である。
逃げ場がないのである。
いや、家族ごと逃げ場が無いと思い込んでいるのである。
多くの人の選択は、薬を飲んでも、働くである。
薬を飲んで、どうなるものではない。
学歴に胡坐をかき、レールを信じてきたエリート層の方が問題は深い。
逃げ場のない人を救済するには、逃げ場を与えてあげること以外に解決策はない。
学校で虐めにあっている子が、登校拒否になるのは、正しい反応だし、
家庭で虐待にあっている子が、家出をするのは、正しい反応だ。
会社であっても、しかり。
逃げたところに逃げ場があれば良いが・・・・
残念ながら、学校や会社から逃げてきた家庭にも逃げ場はない。
せっかく家庭から逃げ出しても、外の社会にも逃げ場はない。
そして、酒に逃げる、薬に逃げる、SEXにおぼれる、ギャンブルに嵌る・・・・・・・。
悪循環の始まりである。
そこに逃げると、単純に現実はどんどん悪化する。
人間は哀しいかな、好き勝手やっていると、どうしても逃げ場のない状況を作ってしまう。
それが、集団になるとさらに厄介である。
集団意識は、暴走する。
児童虐待や会社や学校でのいじめも、そうした人間の哀しい性が生み出すものだ。
優越感や支配感は、もっとも、人間が幸せを感じやる理由の一つである。
残念ながら、無くせといって、無くなる物ではない。
性善説ではダメだ。
ずっと性善説で生きてきたが、性善説ではダメだとやっと気がついた。
欧米の民主主義が、性善説に乗っ取っていない理由が納得できた。
会社も、学校も、医療も、そして家庭も性善説でとらえるべきではない。
そして、こんな社会全体の問題を、精神医療に任せるなどまさに自殺行為である。
内閣府の「眠れないお父さんは病院へ」キャンペーンなど、国民にたいする責任放棄でしかない。
精神医療に期待すること自体が、大きな間違いである。
そもそも、人々の逃げ場を無くした責任は、、精神医療には無い。社会全体の問題である。
精神医療の最大の罪は、解決能力が無いにも拘わらず、あたかも解決できるようにふるまっていることである。
まずは、自身が、無能であることを認めよ。
その上で、謙虚に患者に向き合うのなら、存在価値はある。
その悩みを治すことは、私には出来ないと言える精神科医こそが、良い精神科医である。
逃げ場を失った人々のマイナスエネルギーは、本来はその状況を生みだした状況に対する改善のパワーとなるはずのものである。薬は、そのパワーを奪う。
ちょっと、回りを見る余裕を与えたら、また問題の渦中に戻らねばならない。
薬の役割は、どうしようもないと時に、一時的にその余裕を与える以外には無い。
そして、どうしようもない所に追い込まれる前に、逃げ出せる場所があれば、人々はこれほど薬に頼ったりはしない。
人は、苦しみや哀しみからしか、学べない生き物。
過度の苦しみはもちろん有害であるが、適度の試練は人に必要不可欠なものである。
逃げ場を作る事。画一的でない多様な生き方を許すことである。
これが国の本当の、メンタルヘルス対策、自殺対策である。
僅かだが、希望はある。
もともと、レールが引かれていない若い世代の意識の変化である。
お金や地位を求めるより、やりがいや個性を生かす生き方である。
十数年前に、小学生のなりたい職業のトップが大工であった時代があった。
そうだ、そうだった。その子達が、もう大人になっているのだ。
現在、世界的に活躍する日本人は皆、そもそも、レールに乗っていない世代であった。
そういえば、現在の内閣の東大卒は、1.5人(1人は中退)なのだ。
若い世代にならうのだ。
現在の40代、50代の世代に学ぶことは殆ど無い。
我々の成功体験は、もう通用しない。
もう目の前にレールはない。
私も、この1年間じっくり考えた。
この時間は、今までの経歴や、プライドをかなぐり捨てる為に必要であったと今では思う。
沢山のものを捨てたら、心に大きな余裕が出来た。
これほど大きな余裕はいまだかつてない。
年が明けたら、ついに50代に突入である。
50代から用意されるレールなど有るわけが無い。
長ければ、あと30年の時間がある。
天は、私に何か大きな役どころをくれると思う。
根拠は無いが、そう思うのだ。
このブログを通じても、沢山の気をを頂いた。
絶望の底に落ちても、生きながらえたのなら、あとは上るしかない。
それを証明したい。