かつての戦争の時、日本人は戦争には負けないと洗脳された。
実際に、頭上に爆弾を落とされ、天皇の終戦の詔(玉音放送)を聞いて初めて、本当の事に気がついた。
その元凶は、軍国主義思想であった。
しかし、60年の時を経て、日本国民は、またもや別の思想に囚われている。
それは、マーケット至上主義、効率主義である。拝金主義といっても良い。
個人の頭の中も、社会構造も、会社も、教育も、医療も、全てそれに縛られている。
これだけ様々な分野で、この日本社会システムが限界にきている客観的な証拠がこれだけあるにも拘わらず。
度が過ぎた軍国主義は、国民の人権を無視したが、今のマーケット至上主義も人権を無視するレベルに達した。
職業と云うものは、人に必要とされて始まったものだ。
金融、医療、教育にしろ、その当初の存在意味を忘れてしまった。
かつての軍国主義の時代もそうだったように、国民の大部分は、被害者でありながら、加害者でもあるから性質が悪い。私も含めてね。
だが、現実(歴史)をかえり見れば、その集団思想(常識と言い換えても良い)は、突然死を迎えることがある。
明治維新、終戦のように。
自ら変わらねば、自然摂理の荒療治が待っている。
私の裁判の件が、小さな囲み記事になったのは、マスコミにビジネスとしての圧力が加わったからである。
権威やスポンサーを気にして大きく扱えなかったのだ。
逆に、’個人差があります’とだけ断わっておけば、インチキすれすれの通販商品の宣伝は垂れ流しである。
情報が溢れるのは、情報が無いのと同じ効果がある。
本当の情報が伝わらないことにおいて。
溢れる情報の中から、本当の情報を探しだすのは至難の技だ。
状況証拠を集めてみれば、もう変わるべき時期はとうに訪れている。
なのに、この停滞はなんだ。
変わりたくないものが、必死に抵抗している。
実態経済に意味のない金を必死に刷って見せかけの成長を作り出しても、一向に景気は戻らない。
だが、足元の変化は、まった無しである。
変化へのマグマが爆発寸前である。
もう諦めれば良いのに。
抵抗すればするほど、回復は遅れる。
新しい世界は、それほど悪くない。
人類は、未知の社会に出会うはずである。
来年の春までに、変化は決定的になると思う。
尖閣の問題も、北方領土の問題も、その前触れだと思うのだ。
皆、覚悟が必要です。変わる覚悟が。