昨年の今頃は、色んな疑問があった。


今は、そのほとんどの疑問が消えた。

この問題の全貌が見えた。


それは、ジグソーパズルを組み立てるような作業だった。

一つ一つのパズルの欠片を組み合わせてきたが、どうしても埋まらない部分があった。


最後の欠片は、なぜ精神科医があんな非常識な処方をするのかという事だった。


先生のパンドラの箱を開けたという表現から、最後の欠片が埋まった。


パンドラの箱とは、精神病院のことである。

長い間、精神病院内で培われた非常識がそのまま、教育によって改善される事も無く、街角に飛び出したのだ。


これで、多剤大量処方も、リスクの高いバルビツレート酸系の薬がばら撒かれている理由も説明出来る。


一つ一つは、全て仮定から始まった。

だが、仮定の欠片でも、全てが矛盾なく、隙間なく埋まったら、見事に一つの絵を浮き上がらせた。


100のピースが埋まったのなら、それはもう真実である。

理論の破綻はない。


しかし、出来あがった絵は、あまりにも複雑で恐ろしいものだった。


途方にくれるほど、根が深く、もう半世紀以上続くこの上なく哀しい物語である。

戦争は、目に見えない明らかな悲劇であるが、この悲劇は目に見えない。


そこには、金欲、無関心、無知といった人間社会の醜悪さが渦巻いている。


1人1人は、大した罪ではないと思っている。

だから、殆ど罪の意識が無い。

その1人1人のそれぞれの邪悪なものが、大きな流れとなり、この問題を引き起こしているのだ。


だからこの問題は、解決が難しい。

その複雑さゆえに、責任の所在を明らかにするのが困難なのだ。


何万、何十万、いや何百万もの、哀しみや怒りが渦巻いていることに気がついた。

この哀しみや怒りの総量は、先の戦争さえ凌ぐ。

なぜなら、社会が、その悲劇の存在さえ認めていないからだ。


人権問題に関して、民主主義に於いて、この国は、未だ未熟である。

その事実こそが、このパズルの最大のピースだ。

先進国で、突出して自殺者が多い理由も説明できる。


自殺数と失業率の相関だけでは説明できなかった疑問が、そこに薬の乱用(かつては違法薬物、今は処方薬物)という係数を加えたら、見事な相関が出来あがるはずだ。


その問題の大きさに、また気を失いそうになる。


だが、背中を押す僅かな風を私も感じるのですよ。

いや、もしかしたら、それはなにか念のようなものかもしれない。

それが、私に、このパズルを完成させたのかもしれない。


そうですね。


わたしも道化なら道化らしく踊ってみようと思います。