最初は、一医師の問題だと思っていた。


・次に、精神医療に「多剤大量処方」という、とんでもない問題があることを知った。


・そして、ラボナやべゲタミンという、古い危険な薬が、安易に処方されている事を知った。


・危険な睡眠薬や抗不安剤が使われて、処方薬依存、常用量依存が起きている事を知った。


・過剰診断で、不必要な人に、沢山薬が処方されていることを知った。


・多くの自殺死や不審死の陰に、精神薬が関与していることを知った。


・凶悪犯罪や猟奇殺人の陰に精神薬が関与していることを知った。


・薬の治験が、いい加減であることを知った。


・医師が、医薬品添付情報を守っていないことを知った。


・精神病院内での人権侵害問題があることを知った。


・この問題は、もう半世紀も放置されて来た事であることを知った。


・教育システムに問題があることも知った。

もう、これだけか?

いや、もうこれだけにして欲しい。

時間の経過と共に、どんどん深みに嵌って行く。


いまやっと、多剤大量処方が世間に認知され始めたに過ぎない。

先を思うと、気が遠くなる。

考えれば、考えるほど恐ろしい。


もう、恐怖映画を見ても、何も感じなくなってしまった。

現実のほうが、はるかに恐ろしい。

戦争や天災ではなく、それがあくまで、善意の名の元に行われている事が、さらに恐ろしい。

こんな事が、現実にあるのだとは、今でも信じ難い。


出来る事なら、だれか、この考えを否定して頂きたい。


思い切って、疑問を投げかけても、それを打ち消すエビデンスは何も出てこない。

どころか、疑問はますます増えて行くばかりである。

逆に、時間と共に、恐ろしい仮説が証明されて行くばかりである。


何十年もこれが続いていたとしたなら、

一体、どれだけの哀しみや怒りが溜まっているのだろうか。


やり場のない理不尽な哀しみや怒りは、確実に社会を蝕む。


だが、今の世の流れは、変化の可能性を確実に感じさせるのだ。

そう感じているのは、僕だけか?


残念なことに、その変化は、自発的な自浄作用が働いているからではない。

やり場のない哀しみや怒りが、社会の許容範囲を越えて流れ出したのだ。


破壊的な結末を迎える前に、自ら変わるのだ。

もう許されやしない。

全てが、変わろうとしている今が最後のチャンスだ。


自ら変わるのであるなら、多少の過去の過ちには、目をつぶってくれるだろう。