スポーツ競技におけるドーピングは、記録はく奪、資格はく奪など厳しく処罰されます。


では、スポーツに限らず芸術や仕事、受験などにおいても、集中力を高めるなどの理由で、アッパー系の薬を服用することをどう考えるべきでしょうか?


「完全自殺マニュアル」を書いた鶴見済氏の当時の著作を読むと、その参考文献の数、著作のスピードに驚きます。彼も認めていますが、これは、正にドラックの効用によるものです。


内容は、ともかくその集中力には驚くばかりです。

(後に、内容、とくに覚醒剤を肯定したことについて彼は、公に謝罪しています。)


受験競争の激しい韓国では、受験勉強の為と薬を服用する事が流行しているとのニュースがあります。

http://venacava.seesaa.net/article/32853846.html


これは、韓国ばかりでなく米国でも問題になっており、この日本でも少なからず問題になっています。

韓国では、記事中にあるように、病院が「学習クリニック」との看板を掲げているのですから、その浸透度が伺えます。


競争に打ち勝つために、薬の力を借りる。

クリエイティブな仕事をする為に、薬の力を借りるそれは、許されることでしょうか?


事実、その業績には、素晴らしいものがあります。

だが、その実績は、本人へのリスクのみにとどまらず、家族や社会に対するリスクを引き換えにしたものです。

その業績は、自身の健康のみならず、社会の混乱をもたらす薬物乱用問題を引き起こすリスクと引き換えに達成されたものです。


本当の病気に対して使う事に、異論はありません。

(その病気が、本当に存在し、それを医師が正しく診断できるのならという前提付きですが。)


だが、集中力を高めたいから飲むは、享楽目的で飲むとのと同じでしょう。


厳しく規制されるべきだと私は思います。


リスクは、時間の経過と共に増大するのです。