山が高ければ谷深し。
20世紀、大量生産、大量消費社会の最大の成功者は、日本であった。
その成功の大きさが、自ら変革できない、今の悲惨な状況をもたらしている。
成長の余地があるアジア諸国が成長し、成長余地のない日本が、相対的に地盤沈下することは避けようのない自然の摂理のようなものである。
そこに抗っても無駄である。
そして、今の日本の姿は、成長著しいアジア諸国の明日の姿でもあるのだ。
その谷があまりに深いが故に、日本が諸先進国より非常に苦しい立場に置かれることはさけられない。
しかし、その反発を真っ先に経験するのもこの日本だと思う。
今回の尖閣諸島の問題は、図らずもこの日本の外交力のなさ、事無かれ主義を露呈させた。
情けなさすぎたから、これで日本は変われる。
検察の不祥事という、社会の根本を揺るがす事件。これも、末期症状である。
これも、酷過ぎるから、変われる。
私の取り組んでいる精神医療問題もしかり。末期症状以外の何者でもない。
だから、変わると私は確信している。
全ては同根なのである。
この経済成長優先、合理性追及の結果、社会からはじき出され、他に行き場のない悲しみや苦しみが、精神医療に集中したのだ。
家族の手に負えないもの、
会社で不要なもの、
学校の問題児、
凄惨な過去に傷ついた人々。
精神医療に出来る事は、そういう人々を閉じ込めて拘束することか、
薬で、頭をぼうっとさせ、おとなしくさせるか、
むりやり、覚醒作用の薬を与え、最終的に薬物依存者を作り出すことだけである。
精神医療の問題は、
この社会の人間の営みにおいて、無くなることの無いこれらの悲しみや苦しみをどうするのかということだ。
残念ながら、その役割を担う能力は、精神医療にはない。
睡眠障害キャンペーンの解決策が、病院へ行くことなどという、内閣府のキャンペーンは、
この問題の責任を精神医療に押し付け、弱者を切り捨てていることに他ならない。
善意を装った責任の放棄以外の何物でもない。
最近、ある面においてのみだが、私は精神医療に同情している。
人々の悲しみや苦しみを受け入れる能力も知識もないのにも拘わらず、その役割を負わされているのだから。
出来ないことをやってるのだから、失敗し非難されるのは当り前である。
精神医療は、それを自ら認め、身の丈に応じた立場に戻らねばならないのだ。
心のことなど、何も判っていないと自ら認めなければならない。
心の専門家などという看板はさっさと下ろしたほうが良い。
でないと、この社会の矛盾が全て、精神医療の責任にされかねない。
(社会の)勘違いが(精神医療の自身の)勘違いを呼び、どうしようもないところまで来てしまった。
もちろん、この混乱につけ込む製薬会社とそれとつるんだ精神医療の権威達の罪は、許されるものではない。
彼らに踊らされた、多くの精神科医たち自身も、ある意味、彼らの被害者でもある。
いずれにしても、変わるのである。
近づくハイパーインフレの匂いは、既得権の崩壊を思わせる。
すでに、現内閣に既得権の象徴である東大出身の閣僚は2人しかいないのだ。
さっさと自ら改めるのだ。さもなくば、全ての責任を負わされる羽目になる。
変わらないなら、この国はおしまいである。
もしそうなるなら、私も諦めて、私自身と私の大事な人の為に’金儲け’に邁進することにする。
私にはそちらの方が簡単にできる。