ベンゾジアゼピンのこと調べていて、また腑に落ちた。
こんな無茶苦茶になるまでに、軌道修正をする機会は何度となくあったはずなのである。
処方薬依存の危険性を唱える精神科医も、今まで沢山いたし、論文も沢山あったはずである。
それらは、なぜか黙殺されている。
これは、軌道修正のチャンスのたびに、問題の総括をせず、責任の追及を怠ったためだ。
バルビツレート類から、ベンゾジアゼピン類へ、
ベンゾジアゼピン類から、SSRIへ、
この薬の変革には、明らかな理由があった。にもかかわらず、自浄能力は発揮されなかった。
問題の総括をしないうちに、変革の理由を忘れ、なあなあとなった。
そしてあたかもその問題が無かったようにふるまい始めた。
さらに、自己を正当化するために、正当化の理由を無理やり探しはじめた。
かばい合いの論調が氾濫し、精神科独自の常識(一般には非常識)のコンセンサスが形作られたのだ。
これは、嫌味であるが、
精神科医には、この知りたくない真実を隠すために、解離が起きているのでしょう。
この仮説は、新旧薬混在の多剤大量処方が蔓延した理由も説明できる。
さらに悪いのは、挙句、製薬会社のイメージ洗脳CMなど、悪いところだけを輸入したのだ。
嘘が嘘を呼び、さらに悪循環にはまっていったのだ。
この問題を追及しはじめた頃、なぜこんな問題があるのかさえ理解できなかった。
ついに、理解しました。
もちろん、精神医療だけの責任ではない。
日本社会そのものに自浄作用が欠けていたのだ。
やはり、外圧でしか日本は変われないのか。
いや、最後の希望を、政治にたくしたい。
これくらい変えられなければ、日本の再生など100年あっても出来やしない。
海外で抗うつ剤の功罪が議論されていますが、日本は、抗うつ剤の議論の前にされるべき議論を経ていません。
もう、数十年遅れているのです。