さすがに、この事件に対する人々のショックは大きかったようだ。


報道によれば、事件のあったマンションの住人が、自らビラを作り、会合を開こうと呼びかけているという。


何を話し合おうと言うのだろうか?


私には、その気持ちが良く分かる。

報道を聞いただけで、こんなに胸が痛むのだ。

実際に、子供たちの声を聞いた隣の住民たちの心の傷はどれだけ深いことか。


とことん話し合えば良い。

もう、一生忘れ得ぬ記憶となろう。その記憶と共に生きて行くためには、納得がいくまで突き詰めるしかない。

それ以外に、方法は無い。


心のケアとは、励ましたり、優しい言葉をかけることだけではない。

納得することが必要だ。

どうせ、忘れようとしたって、忘れられないのだ。


厳しいことを言うようだが、もはや、背負っていくしかない。

だが、とことん突き詰めて、背負って行く覚悟が出来たらなら、生まれ変わったような気持ちになるはず。


なんでだろう、この事件は、いつもにまして、酷く心が痛む。

無垢な子供が被害者であることは、もちろんそうなのだが。

それにしても、まるで、自分の知り合いに起こった事のように胸が痛む。


私だけだろうか?


日本中、哀しみの念が、満ち満ちているのだと思う。

その念を感じ取っている気がする。

それは、その母親に対する怒りではない。

行き場のない物凄い哀しみである。


この哀しみから逃げてはいけない。


一番良くないのは、考え無かったり、何もしないことである。

そうしなければ、今度は自分の心が病む。


その痛む心が社会を変えるのだと僕は思う。