陰陽を知ること。
表があれば、必ず裏がある。
これは、自然の摂理の基本中の基本である。
陰陽を知ることが全ての始まりなのだ。
僕は、権威を持つ人をいきなり尊敬も信用も出来ない。
人間それぞれにも、陰陽を合わせ持つことを知っているからだ。
善意の後ろには、必ずなにかしらの悪意が隠れている。
全ての事象に、陰陽はある。
僕が、一番疑うのは、
陰陽どちらかしか見えない場合である。
物事を説明する時には、
陰も陽も、どちらも説明せねばならない。
片手落ちは、詐欺である。
ある人にとって良い人であっても、別の良い人にとっては悪い人である。
これは、だれであろうと避けようがない。
広く人の為に尽くす人は、どうしても身近な人に迷惑をかける。
どちらにも、尽くせる人が居るとしたなら、別のところで辻褄が合わされる。
結婚できないとか、早死にをするとかね。
陰陽、自然の摂理には、感情がない。
だから、その作用は、時に残酷な仕打ちをする。
しかし、人間社会の事だけを取り上げてみると、回避可能な不幸は沢山ある。
なぜなら、感情は唯一、自由であるからだ。幸せと思う心は、ここの人間の中だけにある。
例え、この地上の人間全てが幸せな感情に満ち満ちているとしても、それは自然の摂理に反しない。
理想として、全ての人々が幸せを感じる社会は構築可能である。
人間の感情のみが、自然の摂理から自由になれる。
陰と陽のバランスは、必ずゼロサムゲームである。
誰かの物質的な幸せは、誰かの物質的な不幸の上に成り立っている。
地球の隅々の人々まで、繋がってしまったこの社会では、自分の幸せのつけを、目に見えない誰かに押し付ける事が出来なくなってしまった。
この日本社会として、物質的な幸せをこれ以上求めるのは不可能だ。
この日本は、今の社会インフラを維持するだけで、あと何十年も、世界で一番便利な国の一つである。
政府の予算は、その維持管理にだけの支出で良い。
菅首相は、「最小不幸社会」を政策の基本としたが、僕は、「最大幸せ社会」の方が良いと思う。
何も、幸せになるために、経済成長は必須ではないからだ。
僕は、自身の今のピンチに感謝さえしている。
順調なIT社長では、得られなかった幸せがあることを沢山知った。
それを伝えたい。
足るを知れば、それまでとは比べられない程の幸せを感じられる。
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