かつての秘書の女性から連絡があった。


彼女は結婚退職したのだが、結婚1年でガンで夫を失った。

最初は泣いて話も出来なかったが、2年たってやっと話が出来るようになった。


似たような境遇であるため、時々連絡をくれる。

安心感があるのだろう。


もう、あんまり怖いもの無いよね。


これは、彼女と僕の合言葉である。

そう、そのことを思えば、他の大抵の悩みなど取るに足らない。


哀しみや苦しみを忘れたのでは決してない。

それらと上手く付き合うことが出来るようになったのだ。



怖いものが無ければ、あとはやけくそである。

そして、やみくもに動いている間に、僕にしか出来ない仕事を見つけた。

能力の問題ではなくて、僕しかやらない仕事。


IT社長は完全にもうやめです。

居心地の悪かった既得権チームとはおさらばします。

ITの仕事は、僕より上手くやる人は沢山いる。

金の分捕りあいはもういい。



息巻いて事を進めてはいない。

淡々と物事は進んでいる。方向だけは決めているが、ほとんど神任せである。


裸になって社会に身を投げ出すと、自然とはまるところにはまって行く。

(自ら動くのは大前提だが)

もまれもまれて、流され、たどり着いたこの場所が、この現在、僕のいるべき場所なのだ。

じつに無理がない。



世の中は、全く雑音が多い。


幸せなんて人それぞれのはずだが、皆、何か社会に共通な幸せの定義があるようにふるまっている。

現在の日本人の幸せの定義は、時代に合っていない。


古い定義に無理やり合わせるから、無理がある。


抵抗しても無駄である。

今、必死に守っている幸せの形も、そのうちだれも認めなくなる。



無くすことは悪いことばかりではない。

だから、あまり怖がる必要はない。


家族も、彼女も、金も、地位も全て失ったが、

気持ちは、驚くほど安らいでいる。