大ピンチなのだ。
大ピンチなのだが、大チャンスでもある。
敗戦処理と次の試合の準備を同時にやっているようなものである。
なので、なんだか多忙。
不思議なのは、あんなに苦しんだ胃痛が、全く無いことである。
どうやら、あまりストレスを感じていないらしい。
色々とゴタゴタすると思うが、今、やっていることは、おそらく全て実るだろう。
片方では、人でなしのように罵られるが、片方では、もろ手を挙げて受け入れられている。
その極端なコントランスに目眩を覚える。
今までは将来を、漠然と探ってきたが、会社をあきらめることで、はっきりと道を見つけた。
今度の道は、極めて単純、そして明快だ。
難しいことは、もう、御免こうむる。
それをやる気力も能力もない。
裸になってみれば、自分が良く分かる。
自分に何が出来て、何が出来ないのか。
もう、出来ることだけやる。
世の中は、既に2番底に突入していると思う。
僕の20年来の友人は、国内外の金融機関を渡り歩いた経歴を持つが、彼曰く、今回、会社を辞めた人は、だれも就職出来ていないという。
それを聞いてはっきりした。僕のかつての仕事ももう二度と無い。
だから、あたらしい仕事を見つけなければならないのだと。
僕の経験していることは、程度の差こそあっても、早かれ遅かれ、皆、経験することだと思う。
抵抗しても無駄である。
何しろ、今の日本では、社内失業も含め、半分の人は仕事をやっていないのだから。
そのうち、諦め、覚悟し、出来ることから少しずつ始めるしかない。
ニューズウイークに面白い記事があった。
「草食化するアメリカ」という記事である。
かつての大不況を経験したアメリカ人は、非常にまじめで優しいとある。
本当にその通りだと思う。
古いアメリカ映画を見ると当時のアメリカ人が、どれだけ真面目だったか良く分かる。
映画でみるあの時代のアメリカ人は、とても善良だ。
日本の戦争を知っている世代も同様だ。
人は、困難に出会いそれを乗り切った時に神に出会うのだと思う。
生き延びたことを感謝し、そこに謙虚な心が生まれるのだ。
いかなる宗教も、苦難の時代に生まれていることもそういうことだ。
逆に言えば、人は、苦難が無ければ優しくなれない生き物だということも出来る。
安穏と暮らしているだけでは、善良に生きられないのだ。
残念ながら、僕も痛い目に合わないと変われない人間だ。