好きでやってるんじゃないのだが。
どうしてこう浮き沈みが激しいのだろう。
もう笑ってしまう。
ほんと、結婚不適格者である。
ムチャなのか、勇気があるのか、自分でもわからない。
安定という言葉は僕の人生には無い。
会社と畑と裁判とサルサ。
現在の僕の生活はこれで出来上がっている。
会社は瀕死。
なにやってるんだか。
もう、自分が何者であるのかさえ全くわからない。
先に待つのは、地獄か天国か。
神のみぞ知るだ。
だが、自身の経験に照らせば、いつも困っているのだが、なかなかくたばらない。
こりゃあ、ホントに死ぬかと思ってもなぜか生き返る。
そうした経験をもとに、アドバイスをくれと言われる事もあるが、僕には僕の生き方しかできない。
だから、あまり、他人の参考にならない。
だが、身を持って経験したから言える教訓(理屈)はいくつかある。
底を打たねば回復しない。
表があれば必ず裏がある。
この世の中は、壮大なバランスの中で成り立っている。
楽しいことがあれば悲しいことがある。
山が高ければ、谷は深い。
これは原理原則である。この原理原則からは誰も逃れられない。
当たり前のことなのに、自分が谷に落ちれば文句を言い。
自分はいつも山にいるべき人間だと思う。
一見、幸せそうに見える人にも、必ず悩みがある。
男前に生まれたり、美人に生まれても、必ずそのデメリットはある。
お金持ちには、お金持ちの悩みがある。
波瀾万丈の人生の対極には、退屈な人生もある。
お金持ちに生まれようが、貧乏人に生まれようが、その悩みの深さは比較しようがない。
だが、運命は波のようにうねる。
個人の意思など、大波に巻き込まれれば、なす術など無い。
理不尽である。これも事実。
恵まれた境遇に生まれたブッダが、人は苦しみを持って生れて来たと悟ったように、豊かな生活が人を幸せにするとは限らない。
人は、しょせん一人で生まれて一人で死んでいく。
当たり前のことだが、こうして家族も無しで一人で生活していると、それを身を持って感じる。
皆、その寂しさに耐えきれず、家族や恋人を求めるのだろう。
ブッダの言うとおり、人間とは悲しい生き物なのだ。
結局、ひとりでは生きられない。
今は、何もかも無くした。
けれど、無くしたからこそ始まるものがある。
畑をやる自分。
サルサを踊る自分。
精神医療の問題を世に問う自分。
何もないから始まるものがある。
今は、神に感謝さえ覚える。
50近くにもなって、また新たな事を始められることを心から有難いと思う。
谷底に落ちたのは、次の山に登るためである。