8月生まれの人には、人に善事をおこなわしめる力がある。
明るく楽しく、心から生きることを楽しめる女性。
彼女がそこに居るだけで、周りが明るくなる。
彼女もまさにそんな女性であった。
彼女の選んだ男は、野心家で、英雄色を好むを地で行く男だ。
彼女は、異常なほどやきもちを焼いた。
野心家の男は、彼女のやきもちを持て余した。
思いどおりにいかない心のやり場を彼女は精神科の睡眠薬に求めた。
もともと、日常的に、鎮痛薬を多用していたので、もともと依存体質は強かったのだろう。
一番最初は、眠れないからと病院に通うようになった。
その医者は、最初、彼女の話をじっくり聞き、親身になって治療に当たった。
眠れないという彼女に対して、いくつかの軽い睡眠薬を出した。
後から考えると、それが、転落への始まりだった。
カルテを見ると、当初、親身に話を聞いていたことが判る。
だが、ドンドン、おざなりな診察になっていく。
そのうち、依存を強める彼女の求めに応じて、沢山の睡眠薬、抗うつ剤を処方するようになる。
クスリの副作用で、体重はあっという間に倍になった。
普通では考えられない増え方である。
(睡眠薬の中には、夢遊病のようにものを食べてしまう薬がある。)
そして、7年の歳月をかけて、彼女は立派な精神病患者となった。
ついには、医者は、障害者申請をさせ、医療費を無料にした。
その間、男は、医者に通っているからと油断をした。
せっせと通っているから、悪いようにならないだろうと。
(男は、内科に通っていると思っていた。)
男は、最初から精神科に対して否定的だった。
クスリを簡単に処方するのが許せなかった。
人の悩みは人にしか解決できないという思いが強かったからだ。
失恋や借金の苦しみは、男にも沢山あったが、時間やあがいているうちに大抵のことは解決することも、身をもって知っていたからだ。
クスリは、使用法を誤ると逆効果となる。
ましてや、人の心の問題である。
赤の他人の医者に何がわかるというのが男の本音だ。
だから、彼女は、精神科に通っていることを男に秘密にしていたのだ。
彼女の人格が変わった。
精神科に長く通う家族を持つ人には、家族の人格が変わったと思っている人が多いことを後から知った。
昼間はそうでもないが、クスリを服用した夜は、気がふれたのではないかと思われた。
ある晩、遅く帰ると玄関に鎌が貼り付けてあった。
それから、度々、遅く帰ると玄関に刃物が張りつけられていることがあるようになった。
幾らなんでもおかしい。
医者に行ってるのに、ドンドンおかしくなる。
ついに男も、彼女を入院させないといけないと考えるようになった。
そう思って、一週間も経たない冬の朝。
彼女は亡くなってしまった。
最近のニュースで、SSRI(抗うつ剤)に、攻撃性を高めたり、自殺をしたくなる副作用があることが、厚生省により正式に認められた。
余り誰も触れたがらないが、
最近の親が子を殺したり、家族同士が殺しあう事件の影には、必ずといってよいほど精神科の通院歴があることに皆さんは気がついているだろうか。
コロンバイン高校の事件も、プロザックという抗うつ剤が原因であったことが裁判で認められた。
殺したいほど憎んだり、死にたいほど苦しいことは、人間の普通の感情の一部である。
それは、異常な事ではないし、ましてや病気ではない。
だが、殺したいと思っても、死にたいと思っても、大抵の人間はそこで踏みとどまる。
最後の一線を越えさせるのは、恐らくクスリだろう。
状況証拠としては真っ黒である。
猟奇殺人の犯人が、精神科の通院歴があることが報道されると、
普通の人は、精神に異常があったから、事件を起したと理解する。
逆に、精神病患者の方が、一般の人より犯罪率は低いのにと、報道を非難する人も多い。
どちらも、正しくないだろう。
猟奇殺人の犯人の多くは、精神科の治療によって作られていると考えたほうが、納得が行く。
それにしても、日本の睡眠薬とか抗うつ剤の処方量は異常である。
海外では、単剤処方が当たり前であるが、日本ではいまだに多剤大量処方する医者が沢山居る。
厚生省が、クスリを認可する時は、単剤での検査をするだけである。
複数の薬の飲み合わせなど検査していない。
複数のクスリの相乗作用で、突然死している人は沢山居るはずだ。
中川財務相が亡くなったのは、酒とクスリの相乗作用だろう。
亡くなった後に、彼女が、1日の処方量で12種類40錠のクスリを処方されていることを知った。
7年間かけてじわじわ増えていったのだ。
事情を聞きに、クリニックを訪ねると、医者が不在にも関わらず病院が開いていた。
亡くなった彼女の夫であると告げると受付の女性が、
「私は、診察を受けてくれとお願いした。」と取り乱しながら、いいわけがましく言った。
そこで初めて、診察をしないで、漫然とあれだけの量のクスリを処方して居たことを知る。
確かに、依存した患者は、クスリを欲しがるのだろう。
親戚の法事で不在であったのだが、その医者の言い訳は、患者のために病院を開けていたということだろう。
だが、その医者は、医者の守るべき原理原則を守っていなかった。
併用注意のクスリを複数種類処方した上に、診察もしていないのだ。
そもそも、あれだけ朦朧とするクスリを本人が自分で管理できるものか。
医者に過失があるのは間違いないが、そもそもの不眠の原因は男にある。
もう地獄に落ちるなら、それも仕方ないくらいに思っている。
その責任逃れをする気はさらさら無い、だが、医者の過失も見逃すことは出来ない。
本当の事を知る為に、
亡くなった彼女の親御さんにある納得をしてもらう為に、
裁判をやる事にした。
結局、裁判を起す準備の段階で、数百万の費用がかかった。
お金もさることながら、もっと大変なのは、裁判をやるという気持ちを維持することだ。
裁判の準備をする過程で、似たような事件は、そこらじゅうに転がっていることを知った。
当初は、なぜ、裁判がどんどん起きないのか不思議でしょうがなかった。
お金の問題であったり、なにより、心が折れて、疲れきってしまうのだ。
ただ、忘れてしまいたくなるのだ。
多くの被害者が、わけも判らないまま、諦めてしまう。
それを非難するつもりは無い。
人間は忘れる生き物である。
だから、生きていられる。
だが、忘れてはいけないとおもうのだ。
何かけじめをつけねば、次に行けない。
折れそうになる心を無理やり奮い起こす。
彼女は、男を傷つけることはなかった。
クスリの副作用で、その衝動は持っていたのだろう。
だが、その衝動を抑える為に、さらにクスリにはまっていったのかもしれない。
そして男を傷つける代わりに、自分が逝ったのだ。
そう考えるとさらに胸が張り裂けそうになる。
やはり忘れることなど出来ない。
なんとか、お金の都合をつけ、提訴の直前までたどり着いた。
そこでまた、一つ大きな問題にぶち当たった。
被告のクリニックが廃業したのだ。
廃業の理由を調査すると、その医者が体を壊したのだという。
これは、あくまでも推測であるが、この医者もクスリずけになったのではないかと思っている。
だとしたら、なんと皮肉な結末であることか・・・・・・・
そう、この男とは、僕自身の事です。
そして、彼女は僕の元妻です。
今になってなぜ、こんな事を書くのか、不思議に思っている人もいるでしょう。
さらに、精神科を信奉している人にとっては、非常に問題がある内容です。
非常に取り扱いが難しい問題です。
こんな事を書いた理由は、いよいよ提訴する(公になる)タイミングになったことと、
何よりこの件でマスコミに顔出しすることになるからです。
賞賛もあれば、誹謗中傷もあるでしょう。
ならば、自分の物語は、自分で語っておこうと思ったわけです。
クスリにもなれば毒にもなる。
昔の人は、やはり上手いこという。
使いようで、良い結果をもたらすクスリは沢山あるでしょう。
内科では、血圧や、成人病、喘息などの慢性の病気のクスリをのぞけば、3ヶ月以上継続して処方しないのは、ある意味常識となっています。
ある脳外科(奥さんが精神科医)の医者が、僕に言ったのは、あの分野(精神科)は、まだ裁判の嵐にさらされていない。どんどんやらないと良くならないとの言葉。
最後に、はっきりと述べておきたいのは、
医者を全体を非難しているのではありません。精神科の一部のいい加減な医者を非難しているのです。
(精神医療そのものにも疑問は持っています。)
裁判も、医者が守るべき原理原則を守っていないということを争おうとしています。
少なくとも、安易な多剤大量処方を辞めさせるのが目標です。
この裁判により、日本からいい加減な診察や、安易な多剤大量処方による被害者が減ってくれることを望みます。
8月生まれの人には、人に善事をおこなわしめる力がある。
8月生まれの彼女には、人に善事をおこなわしめる力がある。
皮肉であるが、本当にそう信じたいと思う。