あなたは誰ですかと問われてなんと答える?
多くの場合は、職業だろう。
サラリーマンと答えたり、営業と答えたり。
僕は、社長と答える。
職が無ければ、主婦であったり、学生であったり。
会社名を答える人もいる。
その場合は、その会社にブランド力があるということだ。
職業を答える人の中には、医者や弁護士や会計士のように、職業そのものがブランド力を持つものがいる。
ブランドを得るまでには、随分努力をしたことだろう。
優秀なんだなあと思う。
ひとは、自分を他人に表現する時に、一番誇らしいものを使う。
僕も、しかりである。
僕は、此処に来て他者に誇れるアイデンティティ(存在意義)を失ってしまった。
このやっかいな肉体が存在しているにも関わらず、その存在意味を失ってしまったのだ。
いったい、僕は何者なのだろう。
思いつかねば一生考えなくても良いことなのだろうが、考えてしまったのだからしょうがない。
ただ息をして、寿命が来るまで、ダラダラと生きるだけなのか。
ならば、あのまま死んだほうが良かったんじゃないか。
そう思ったりする。
そんなことをおもっているうち、
他者に誇ること自体がおこがましいと思うようになった。
僕は優秀なはずだ。
だから、金も沢山もらえるはず。
大嫌いなはずのエリート意識に自分もとらわれている。
実は、この他者に誇れるアイデンティティもとめるエリート意識こそが、僕から自由を奪っていたのだ。
自分で自分を評価することを止めると、こんなにも気持ちが楽になる。
評価するのは他者の仕事だ。
結果は神のみぞ知る。
だから、評価を恐れ、結果を思い煩うのは、時間の無駄だ。
思い煩う時間があるなら、楽しいことを考え、実践するにかぎる。
ダメなものはダメ。
なるようにしかならん。
(と自分に言い聞かせてみる。)