生まれ持った運が恵まれていないことと、幸せになることは実は、関係がない。
本来、星に良し悪しなどないのだ。
他者との比較においてのみ、運が良いとか悪いとかの定義が生まれる。
幸せは、自分で感じるものだ。他人と比較して感じるものではない。
比較して感じるのは、優越感と劣等感だ。
優越感で感じる幸せは、ほどほどにしておくのが良い。
一億持ってる者が幸せとは限らない。
今の芸能界の薬物騒ぎをみてると、金銭的な豊かさが幸せの必要条件でないことは明らかだ。
他者と比較して求める幸せは、実は非常に効率が悪い。
そして、非常にしんどい。
良く子供の頃に言われた。
「よそはよそ。」
言われても欲しいものは欲しいから、地団駄踏んで抵抗したが、今ならその意味が痛いほどわかる。
うちの両親が、僕ほど哲学的に考えた上で、そう言ったのではなく、受けた道徳教育がそうであったのだと思う。
僕自身が今までの経験したこの人生で検証しても、それは真実であるし、そう考えることの方が幸せになりやすい。
もっと言えば、成功も幸せではない。
成功した時から、新たな不幸が始まるのだ。
優越感を幸せの価値観として育てられた人こそ不幸である。
そういう人は、恵まれた運を持って生れてくる。
だが、同時に最初から、幸せを感じるハードルは必然的に高くなるのだ。
多くを持つものは、実はそんなに幸せではない。
この東京で暮らす者は、全てお金換算で暮らしている。
将来の暮らしを含め、全てがお金で換算される。
今の政治の論理もすべて金換算だ。
いい加減に気づけといいたい。
お金の勘定では、いまの危機は乗り切れない。
とても、苦労して生きてきたものは、かえって幸せである。
幸せのハードルは思いっきり低い。
持てる者は、そんな小さな幸せに猛烈に嫉妬する。
自分はこんなに努力してるのに何故?と。
その答えは明白だ。
幸せの感じ方が、そもそも間違っている。