昨日、看護師のY美ちゃんが、僕を称して

「50近くにもなって、新しく農業やろうなんてひといないよ。」

と言っていた。


えっ?そうなんだ。

言われて考えてみたが、そう言えば、遠い昔の僕ならあり得ないことだ。


だが、今の僕にしてみれば、ここで畑をやるのは至って合理的なことなのである。


・もはや、職業にこだわりがない。

(IT社長でも、農家でも、サルサバーの経営者でも何でも良い。)

・好きなこと(得意なこと)をやりたい。

(土いじり、植物を育てるのが、好きだし得意。)

・人の役に立つことがしたい。

(美味しいものを作って、人を喜ばせたい。サルサで女性を楽しく踊ってもらうのもそう。)

・人に使われたくない。


自分を見つめなおすと、適職の一つは、畑をやるなのだ。

好きな物をやれば、そのスキルは、あっという間に上がるはず。


サラリーマン時代は、自分が白馬に乗った王子様の気分だった。

社長になってからは、王子様がそのまま王様になった気分だった。


やっと、白馬から降りることが出来た。

(正確には落馬したのだが)

正直、白馬から降りるのは、屈辱だと思っていたのだ。


白馬からおりてみると、ひとりでポツンと立ちすくむのみである。

誰もなにもしてくれない。待てど暮らせどそこにいるだけ。

生きていくためには、自ら歩くしかない。

(代わりの白馬を探してみても、どれも元気がない。)

なんなら、自分で歩いた方が速そうだ。


自らの足で歩くのも悪くないと教えてくれたのはのが、サルサなのだ。


やればやれほど結果がついてくる。目に見えてついてくる。

白馬も道具も何もない。

資本はこの体一つだけ。


週に10時間、約3年間。すでに、延べ時間数、なんと1500時間以上踊っていることになる。

(そんだけやって、まだそんなものかと言われそうだが、44歳で始めたことを考慮して頂きたい。)


44歳でサルサを始めたことと、48歳で畑を始めることは、僕の中では同じなのだ。

時間をかけて、じっくり取り組めば必ずやれると思うのだ。


サルサを踊る自分は、等身大の自分。

好きなことなら、こんなに集中して粘り強くやれるのだ。


歴史を眺めても、こんなに勤め人の多い社会は見当たらない。

それが効率的であったからこうなっているのだろう。

白馬に乗る人は、選ばれた一握りのエリートであるのが、正しい姿だろう。

身のほどを知ったものから、降りていくべきだと思うのだ。


残念ながら、僕の白馬も、世の中の大半の白馬も歳老いた。

沢山の人を乗せる力はもうない。

不況といえども、この国はどうしようもないほど豊かだ。

白馬から降りて歩いても、死にはしない。

そして、どうせ、みな降りることになるのだ。


白馬が老いたのは、まぎれもない事実なのだ。

これ以上乗り続ければ、人もろとも卒倒するだけ。


歩ける力があるものは自力で歩く。

そんな時代がやって来たのだと思う。