養老孟司/竹村公太郎著’本質を見抜く力’を読んだ。
養老孟司、この人は、視点が皆と違う。
共著の竹村氏は、生粋の官僚上がりでデータでものを語る。
示されたデータを、養老氏は、昆虫学者、解剖学者として得た知識でものの見事に解説する。
本人が言うように、’もの’で語られると説得力がある。
今まで、江戸時代は、鎖国で300年近くやっていけたのだから、究極の循環社会を築いていたと思っていた。
だか、この本の中の1900年ごろの日本列島の森林資源と2000年の森林資源の地図を見てみて驚いた。
江戸時代の最たるエネルギー資源は、森林である。
黒船がやってきた頃には、日本列島は使える森林はほとんど使い切ってしまったのだ。
1900年ころの都市周辺の山は丸裸だ。
現在の西日本の森林は全て、人の手が入ったものだそうだ。
そして、森林が豊かになるには、100年くらいの時間がかかる。
人間の手の入っていない東日本の森林と西日本の森林では、虫の数が全く違うそうだ。
この本でさらに驚いたのは、江戸幕府の治水についてだ。
関東平野というのは、まったくの湿原だったのだそうだ。
利根川を銚子の方に流すことで、この関東平野を大穀倉地帯に仕上げたのだそうだ。
凄い。
他国の水不足は、本当に深刻なようだ。
アメリカ中西部の大穀倉地帯は、地下水をポンプで汲み上げて、あの広大な穀物栽培をしている。
この地下水というのは、日本人の考える山に降った雨が、大地にしみ込んだというイメージのものではなく、石油のように化石層の上に溜まったものであるらしい。汲み上げてしまえばそれで終わりなのだそうだ。
中国の砂漠化は、深刻で、あの黄河がたびたび干上がっている。
土の劣化は凄まじく、農薬だらけで栽培するのですぐ使えなくなるそうだ。
そうして、放棄された農地が砂漠化していく。
恐ろしいのは、中国の田園には、虫も鳥もいないのだそうだ。
(日本の農業もそれに近いが、まだ森林があるだけ良い。)
ここまでは、この本の抜粋。
最近、頭の中で、未来の農業を想像してみている。
太陽光発電、ヒートポンプ、LED、井戸水の利用と浄化装置、etc...。
使えそうなものは、色々とある。
問題は、肥料だ。
その虫と鳥のいない土地(水栽培もいっしょ)で作物を育てるために必要な養分は、
リン、カリウム、窒素なのだが、このうちリンが不足しているのだそうだ。
今、肥料のリンは、リン鉱石という資源に頼っている。
日本は、全て輸入だそうだ。
森林の崩壊と人口増大、水資源の枯渇、さらにリン鉱石の枯渇。
やはり、世界の農業は危機に瀕している。
日本は、比較的に上手くやっている。
良く言われる食糧自給率40%というのは、まやかしだという。
カロリーベースでの計算なのだが、高カロリーな肉や小麦が輸入で、かつ廃棄している量も半端でない。
食糧輸入が止まって、日本人が餓死するかと言われれば、それは、’NO’である。
牛肉を食べるのを月に一回にするだけで事足りる。
日本の農業の危機は、リン不足だけだ。
リンは、生物の基本的な生成物質である。人の体には500から700㌘のリンがあるらしい。
人間は、リンの豊富な海中の魚、植物からリンを取っている。
かつての農業が、糞尿を肥料にしていたのは、糞尿に沢山のリンが含まれていたからだ。
(現在は、下水からリンを取る研究が進められている。)
虫や鳥は、自然のリンの供給減なのだ。
虫や鳥がいない中国の農地には、リンの供給源がないことになる。
よって、化学肥料により補う以外に方法はない。
待っているのは砂漠化だ。
エジプトや中近東、かつての古代文明の地が、現在砂漠なのは、同じような歴史が隠されているのだろう。
日本人が、他国の人より優秀だとは言わない。
江戸時代の日本人も、森林エネルギーをほぼ使い果たしていた。
使いはたして困ったからこそ、明治、大正の日本人は、また日本中の山に杉を植えたのだ。
今の中国と何らかわらない。
著者によると、日本は目ぼしい資源が無いから植民地にならなかったのではないかと言う。
貧しかったから、恵まれていると。
3℃から4℃の温暖化が進んでも、北海道が関東位になる。
温暖化で日本はあまり困らないと。
(東京や大阪の埋立地は沈むが。)
wikiで養老孟司を引くと、
鉄腕ダッシュのダッシュ村が好きなのだそうだ。
この著書の中でも牛肉を食べるのは月一回で良いという。
全く同感だ。
おそらく、牛肉を食べるのを月一回にする生活なら、日本の食料自給率は、100%になるはず。