豊かである。
日本はどうしてこんなに豊かなんだろうと思う。
この不況にそれはないだろうと言われそうだが、この商品が溢れ、日々生みだされるゴミの量を見れば、豊かでないということの方が難しい。
この豊かさを生んだのは、グローバル資本主義経済のおかげである。
都会は、田舎がなくては生きていけない。
これは、不変の事実である。
安い食糧や資源を提供してくれる大いなる田舎(アジア、オセアニア、アメリカの一部)の存在なくして、都市国家日本の繁栄はあり得なかった。
欧米は、都市化が進んだといえども、世界一都市化が進んだ国は、間違いなく日本だ。
交通手段一つとっても、日本で一日でたどり着けない場所などどこにもない。
忘れてはならないのは、米国も欧州も、自国の中にちゃんと田舎を残していることだ。
食糧自給率アップと自然エネルギーの普及は、日本のまさに生命線だ。
(江戸時代の人口は、3000万人程度であったらしい。鎖国をしていたので、ほぼ自給自足生活を実現していた。
日本には、この狭い国土で、100年以上もの間、自給自足生活を実現した実績があるのだ。)
それでも、物を作りその代償として、食糧や資源を得ているうちはよい。
この10年、欧米は錬金術でお金を作り、日本もその無駄使いの恩恵を得てきた。
お金とは本来、物々交換社会の利便性を高めるために発明されたもの。
その価値を裏付ける何かが必ず必要となる。
お金は、かつて、金と変えることが出来た。
それが、製品や技術やサービスに置き換わった。
そこまではまだ良い。(テレビや車の代わりに、食糧や資源を得るということ)
おかしくなったのは、金そのものに価値があるとの勘違いが始まったことだ。
そうなったお金の裏付けは、’信用’である。
欧米の金融機関は、信用を水増ししてばらまいたのだ。
錬金術は必ず失敗に終わる。
気をつけるべきことは、お金を一番信用しているのは、われわれ、日本人に他ならないという事実だ。
もちろん、どこの国にも、お金を信用しきっている人達は沢山いる。
だが、田舎を持たない日本人が一番お金を信じているのは間違いない。
食糧自給率がこんなに低くても大丈夫と思っているのがその証拠。
欧米が、日本よりお金のことを信じていないとすれば、この不況を乗り切るために、どこかで大きなお金そのもののルールを変えようとするはずだ。その変えられようとしているルール自体も一番信用しているのも日本人だ。
気がつけば、ルールが変わっていたなんてことが起こりかねない。
政治家には、こうした視点も持ち合わせていてもらいたい。
反アメリカの南米の産油国では、お金(ドル)を介さない物々交換で貿易をすると言い出した国が現れた。
これには驚いたが、よくよく考えてみれば、まっとうな政策に思える。
たとえば、車100台で、100人分の食料を交換するということだ。
そもそも、取引するもの同士の間に、信用があれば、お金は必要がない。
そう、お金ってものは、もともとその利便性のために存在しているのであって、その利便性の故に価値があるに過ぎない。
その現物経済に対して従たるお金が、余っている。
インフレになるのが常道であるはずだが、世界は皆、デフレに落ち込んでいる。
(そんな世の中で)
20代は、可処分所得のうち半分近くを貯金しているそうだ。
その動機のほとんどは、’不安’なのだという。
収入そのものが、大したことがないから、貯めても大した額ではない。
このままデフレが続くとすれば、その貯金というその行為は正しい。
しかし、このデフレ解消のための財政出動と資源、食糧の枯渇は、インフレ要因だ。
ただ盲目にお金の価値を信じているとしたら、そんな貯金などあっという間に消し飛ぶ。
お金の価値が下がることだけは間違いない。
貯金するのは良いが、なにか創造(生産)するかサービスする立場になる準備だけは、必要だ。
口を開けて仕事を待つような時代は終わった。
外国に3K(きつい、汚い、危険)の仕事を任せるのも終わり、これからはそこも含めて自ら進んでやる必要がある。
我々の世代は、なぜ、自分や他人に投資をしないと彼らを批難しがちだが、彼らをそうならしめたこの社会を作ってきたのは我々(40~)であることも忘れてはならない。
彼らを非難する前に、まずは我々が変わらねばならない。